1通目「風雅の便り」
なぜなぜ、どうしての美学・哲学
こんにちは。
あなたは今まで、「哲学や美学は机上の空論で自分には関係ない」と思って来られたかもしれません。
しかし、あなたが興味をもたなくても、
あなたは哲学や美学の影響を必ず受けています。
コンスタンティン・ブランクーシが作った「空間の鳥」という作品があります。
彼はこの彫刻を作る14年前、航空機博覧会に出掛けたときに、たまたま見かけた、航空機のプロペラの無駄のない形の美しさに圧倒されたそうです。
ブランクーシが作った「空間の鳥」は鳥の存在を究極まで削ぎ落した形で表現しています。
鳥という具体的なものを、シンプルな形という「抽象」に転換し、作品として作り上げているのです。
昔は工業製品という日常的なものは実用的であるかどうかが重要で、芸術とはまったく関係のない、別次元の物だと思われて来ました。
しかし、ブランクーシは工業製品の中に芸術作品と共通の美があることを見抜き、今までの芸術の枠組みの外にも「美」はあることを作品として示したのです。
(この彫刻の後日談も非常に興味深いものですが、今回は長くなるので割愛します。)
このように私たち人間の社会は具体的なことと抽象的なことが、地続きでつながっていて、互いに影響を及ぼしています。
科学的な思考法の限界 |
現在日本では、具体的に役立つこと、科学的であることばかりが物事の本質であるかのように言われています。
確かに、科学的といわれる数字、データ、実験などから世界の本質を探るという「帰納法」的な思考方法は有効です。
AIにおけるビッグデータ解析や身近なところではSNSやYoutubeの評価がその人の評価になるというのも帰納法的な考え方の上に成り立っています。多くの人から評価を得ている人が正しいだろうというのは帰納法的な数の力を信じているから起こるものです。
しかし、帰納法のアプローチの欠点もあります。
それは、パラダイムシフトを起こせないということです。
全く新しい価値や理論を生み出そうとするとき、帰納法という、いわば今までの理論の積み上げていくだけでは、たどり着けないからです。
新しい発見というのは、その業界の外からアイデアを持ってきて出来上がったということが多いです。
20世紀最高の物理学者といわれるアインシュタインは全く新しい物理理論を発表したとき、スイスの特許庁の職員でした。つまり、大学などのアカデミズムの外の人でした。
どの業界にもその業界での常識があり、権力構造があります。それはアカデミズムも例外ではありません。
今までの業界を支えてきた理論を否定し、新しい理論を打ち出すためには、今までのやり方を積み上げる帰納法的な考え方だけではダメなのです。
このようなことは私たちの日常生活でもあります。
自分を変えたい、新しいアイデアが欲しい!と思うなら、今までの自分の思考の癖や価値観を変えなければいけません。
「これは新しい○○思考法だ!」「自己変革には○○だ!」「○○コーチングだ!」と毎年のように新しい自己啓発の方法が生み出され、宣伝されていますが、
私から見れば、基本的には哲学の古典ともいえる実存主義的な考え方から抜け出せていないものがほとんどです。
つまり、そのような最新の方法をいくつ学んでも、もう古典ともいえる古い実存主義的な哲学の思考からは一向に抜け出せてないわけです。
これでは、自己変革や新しいアイデアにも限界があります。
自分がいる業界や経験からくる思考法から抜け出すには、そういった業界の知識系体やの外、自分の経験にない思考系体を学ぶしかありません。
様々な業界をふくむ人間の思考、そして、それらをすべて包括して俯瞰することは、抽象的な思考法でなくてはできません。
ブランクーシはの作った彫刻のように、物事の本質を抽出し、抽象化してその中の原理原則を見出していくアプローチをしているのが、哲学です。
最上流の学問 |
哲学は「どうして?」「なぜ?]という問いそのものがどうして起こるのか?どういう仕組みなのか?という学問の根本の仕組みを探求します。
つまり、哲学はすべての学問の一番上流の地点の事柄を学問として取り扱います。
一番上流の原理が解明され、変化すれば、下流の学問はすべて影響を受けてしまうことになります。
哲学がメタ学問と言われるゆえんです。
その哲学の一分野に美学があります。
人は古代から「美」にひきつけられてきました。
それはどうしてか?それはなぜか?美とはどういうものなのか?
そういった古代からの哲学や美学の流れのうえに、私たちの物事の考え方や価値観が作られています。
日本人が哲学についてあまり知らない理由は日本の学校システムのせいです。
あなたは哲学(美学)は文系か理系かどちらだと思いますか?
確かに日本の大学では哲学は文系の一分野となっています。
美学は哲学の中の一つの分野ですが、芸術学の下に配置されていることが多いです。
しかし、それは日本独特の大学のあり方です。
では、哲学(美学)は文系なのか?理系なのか?
実はどちらでもありません。
哲学は文系・理系の上位にあり、すべての学問にかかわりがあり、あらゆる学問の基本概念について考える学問なのです。
文系であろうと、理系であろうと、研究対象が違うだけで
「これは本当だろうか?」「もっと新しい考え方はないか?」「今まで考えてこられなかった問題ってなんだろう?」
という、研究姿勢や思考法は変わりません。それが学問の本質だからです。
このような研究姿勢や思考法について研究しているのが哲学(美学)なのです。
オックスフォード大学というと哲学が有名ですが、実は哲学だけを学ぶ学科はありません。
例えば、Philosophy and Modern Languages、(哲学と文学)Physics and Philosophy(物理と哲学)、Mathematics and Philosophy(数学と哲学)などのように、哲学と他分野を組み合わせて学ぶようになっています。
アメリカでは大学で必修科目です。
また、現在ヨーロッパのほとんどの国では、哲学は高校生になるまでの必修科目です。
学問を始めると同時に、「考えるってどういう事?これは本当なの?」という根本的なことが学問を学ぶためのベースとなります。その基礎がなければ自分自身で考える主体的な学びなど出来ないからです。
あなたが心理学・経済・科学・医学・芸術・東洋に興味があるなら、是非哲学を学ぶことをおすすめします。
哲学の視点から各分野の学問を俯瞰することで、その専門分野をもっと深く、または全く別の視点で理解できるようになります。
また、専門分野だけでなく、広い視点で学問全体を見渡すことができるようになるので、他分野の学問を学問を取り入れることができるようになります。
工業製品の部品から、本質を見抜き芸術作品を作ったブランクーシのように、
逆に
芸術作品から本質を見抜き自分の仕事に活かすことも可能なのです。
例えば仕事の上でも
コーチングやカウンセリングでは
クライアント様の悩み事を個人の問題としてではなく社会構造・経済・美学的なアプローチをもって、もっと全体的な視点で捉えることができるようになります。 |
東洋医学や美容、服飾関係など心と外見・体をテーマに仕事をなさっている方には
美学的なアプローチから哲学を学ばれると、全く違った美の視点をお客様に提供できるようになります。 |
教師やインストラクターなど人に人に教える立場の方は、
相手がどういう思考の上に発言しているかが理解できるようになるので、より適切な対応が出来るようになります。 |
ビジネスで独自の商品を開発したい、他分野の仕事をとりいれて新規事業をはじめたい、埋もれないマーケティングをしたいのであれば、
社会の構造や人間の根源的な思考の法則などを知り応用することができます。 |
どうでしょう、哲学や美学を少しは身近に感じていただけましたか?
最後にお伝えしたいのが、哲学(美学)で本当に重要なこと。
それは
「哲学すること」です。
頭の中で空想する机上の空論だけでよいというのは哲学の本質ではありません。
哲学(美学)は現実世界に落とし込まれてはじめて意味があるものになります。
そのための、前段階として「机上の空論」があるのです。
是非、哲学・美学を学んであなたの人生に活用してみてください。
いや、哲学を知れば、それを活かさずにはいられないあなたになると思います。
そして、一度哲学で開かれた目をもうあなたは閉じることはできなくなるでしょう。
あなたがそれを手放さない限り。
次のお手紙は「「花の色はうつりにけりな美容と美学」」というお題です。
美しさはいつの時代も人を虜にします。様々な芸術作品を取り上げながら、美容に限らない、「生と死」に関する美の本質へのアプローチの仕方についてお伝えしたいと思います。
それでは、お楽しみに。
■「風雅の便り」の内容
一通目「なぜなぜ、どうしての美」 (一挙に読みたい方は上記のリンクをクリックすればご覧になれます。理解を深めるため順番通りにお読みください。) |
麗知塾説明会&ミニ講座 |
参加される方は出来るだけ「風雅の便り」のメール講座(全5回)をご覧になってからご参加ください。
参加費:3000円(事前振り込み)
場所:
【対面】東京 渋谷or新宿又は【オンライン】Zoom
開催時間:2時間
定員:
【対面】各3名(先着順)、【オンライン】個人面談
※お申し込み後に開催場所、ZoomURLはお申込み後お知らせいたします。
申し込み期限:開催日の2日前まで
麗知塾の内容 |
講座:シーズン1(6回),シーズン2(6回)
- 個別面談(各シーズン6回 対面orオンライン)講座の疑問点、仕事への落とし込み、差別化されたコンテンツ作成、アドバイス、その他。
- 教養基礎講座(解説動画とテキスト資料)
(基礎として知っておくべき哲学、美学、芸術学をメインに提供) - 人文科学・哲学・美学研究における資料
- 課題の提出と個別フィードバック
- 主宰者の哲学・美学・芸術に関する思考コラム
- その他、随時塾生の親睦会等を開催
- シーズン1&シーズン2を受講し、課題提出を終了した方で、希望者には修了書を発行(デジタル)
期間:1年間(シーズン1&2)
料金:説明会でご案内いたします。塾の内容を確認していただいて、必要な方だけに入会していただきたいと思っています。押し売りはいたしません。
【主な講座内容】
■教養基礎講座(シーズン1)
I、理想の美、理想の人間はあるのか?
~理想の自分を追い求める人へ
II、人の痛みや感動を知ることができるのか?
~心理学、感覚の盲点について
III、文系学問は実社会に役立つのか?
~科学的アプローチの死角について
IV、人はなぜ快楽(美)を求めるのか?
~消費社会のビジネスと死との共鳴について
V、弱肉強食の現実社会をどう生きるのか?
~自己成長と妬みの構造について
VI、人生は自分で決めることができるのか?
~人間が生まれながらにもつ自由と罰
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■教養基礎講座:シーズン2
VII、宇宙は神が作ったのか?そうでないならどのように?
~神と芸術の共存関係について
VIII、マイノリティーは社会的弱者か?
~優劣を逆転させる思想
IX、本当に客観視は出来るのか?
~言葉と感性の間にある曖昧さについて
X、私達の世界はどこまでリアルなのか?
~言語の呪縛から逃れられない人間について
XI、基準のない混沌の世界をどう生きるか?
~固定点を必要としない世界観について
XII、哲学や芸術の終焉?
~終わりの始まりを生きる私たちにとっての教養
現代は科学的なアプローチが支持されている時代です。
科学といえば、人間でさえもモノととらえ、数値化することで客観的な立場で研究することを重視しています。
しかし、究極的には人間は「客観視」などできません。そこにあるのは客観視を目指している「主観」です。
数字やデータに意味を与えるのは人間だからです。
「主観とは何か」を極限まで追求することで、逆に人間が可能な究極的な客観とは何かを理解できるようになります。
この塾ではは科学の有用性を認識しながらも、その限界を明確にすることを美学・哲学を通して行い、自然科学と人文学、客観と主観を包括的に見つめる視点を育成していきます。
また、縦割りの日本のアカデミズムのありかたから脱却すべく、大人が持つべき真のリベラルアーツを美学・哲学を基盤とし提供します。
教材は東京官学支援機構から情報提供を頂いた一般では手に入らない貴重な資料と基本的な哲学・美学の解説とします。
この塾では知識を増やすことではなく、自分の人生や仕事に活用していただき、社会や国に貢献していただくことを重視しています。
そのため自分の頭で考える本当の思考力を磨くためアウトプットも重視しています。
最初は難しく思われるかもしれませんが、何事も初めは初心者です。
一人ではなかなか理解できなくても、マンツーマンであなたの思考力の盲点や成長点について見極め、サポートいたします。
哲学・美学の素晴らしいところは、学べば学んだ分だけ視点が高くなり、視野が広がることです。そして、その視座はあなたが手放さない限り戻ることはありません。
まさに、生涯の指針となるクオリティーのものです。
是非、知と感性を磨き上げてより高い次元の「真善美」をめざしていきましょう。
【塾長プロフィール】
石橋ゆかり
麗知塾代表/東京官学支援機構理事
京都市内の京表具師の家に生まれる。同志社大学文学部美学及び芸術学専攻。その後中退し、東京国立能楽(三役)養成所に入所。
6年間能楽太鼓方(金春流)の人間国宝の師匠の下で修業し、修了。
1995年サルサダンス教室を開校。のべ9000人以上にダンス指導(2022年現在)。
2019年アートスクール「美学校」に入校。2年間在籍。
2022年 東京官学支援機構 理事、東京リベラルアーツクラブ(TLC)公認リベラルアーツプロモーター
美学、哲学、芸術学、アートの学びを長年継続。
2022年よりアカデミズムに根差した”美と知”の普及活動を本格始動。
麗知塾を開始
なぜ、私がこのような活動をしているのか
私は小さい頃から、「『美しい』って何だろう?」と考えてきました。生まれたのが京都で両親に連れられて、よく美術館や神社仏閣に行っていたせいかもしれません。
そんな私が今回このような活動を始めた理由は誰かが美やアートの本当の凄みをきちんと伝えなければ、と思ったからです。
実は私は数年前、「アートは世界の本質を伝えてくれますよ」ということを広めようとしていました。
しかし、表現にかかわる仕事をしてきて、長年一流の先生の授業を受けてきたとはいえ大学教授でもない、大学院で正式に学んだこともない私がこんなことを教えていいのだろうか?という思いがありました。
私もビジネスマンですから、他のコンテンツならそんなことは思わなかっただろうと思います。
しかし、「美」や「アート」は私にとって特別な存在なのです。
私は長年学び、経験していく中で芸術、文化が本当は儚いものであり、それが古代から現代まで奇跡的に途切れずに現代まで続き、私達が受け取ることができていることに気づかされました。
先人たちの「美」に対する真摯な態度にただ圧倒され、自分の小ささを思い知らされてきました。
リスペクトする気持ちがあまりに強く、
私などが「美」や「アート」にかかわるなど、とんでもない事柄だという気持ちがあります。
そのため、「美」や「アート」の本質を広めるには、私などよりも適任者がいるのではないかと思っていました。
そうこうしているうちに、「デザイン思考」「アート思考」「対話的鑑賞法」など、アートを現実に落とし込むコンテンツを販売する人や企業も現れ、それに大学の先生方も協力なさっているということを知り、「それなら、私が活動をしなくても、そういう人たちがきちんと伝えたほうがいい。
そのほうが習う人にとってもいいし。」と思いましたので、自分の考えを広める意義もないと思い、やめてしまいました。
しかし、残念なことに様々なアートコンテンツが、結局、「美」や「アート」の本質を伝えることよりも、「楽しく!誰でも簡単に!みんなに親しんでもらえるように!こんなに役立ちます!」というアピール満載で紹介されます。
「美」や「アート」商品化され、薄められ、拡散していきました。
私は本当に、心の底から失望しました。
「なんでこんなに素晴らしいものをそんな売り方で、そんなに中身を薄めて人に紹介できるんだ?」私にはこれは「美」や「アート」に対する裏切りのように思えました。
と同時に、真摯に研究に没頭されている先生方やアーティストに対する裏切りのようにも思えました。
でも多分、そういったアート関連商品を売っている方々に悪意はないのです。その価値をより多くの人たちに伝えたい!という熱意があって、このような形になっているのだと思います。
「美」や「アート」の研究者、専門家といえどもビジネスでは素人です。マーケティングのプロだ!という人から「こうしないと世の中に広まりませんよ。」と言われると、今まで効果のあった、手あかのついた「楽しい、簡単、すぐに」というマーケティングの打ち出し方で商品を売るしかないのだと思います。
それが、「美」や「アート」の本質とは真逆のことでも、一般に広めるには仕方がないと。
でも、そのようなことを放っておくと大人の事情や思惑でゆがめられた「美」や「アート」が、本当なのだと一般の人は誤解してしまいます。
「その程度のモノなのね。」と。
ビジネスはきれいごとだけではないことも、十分承知しています。しかし、この問題は個人的に好き勝手に消費して、汚して、あとは知らないという物でもないと思います。
こう思ってしまったら私はどうしたらいいか?
常々「文句ばっかり言って、何にもしないような生き方はしたくない。」と考え、もうこれは自分でやるしかないと決断しました。
やるからには、出来る限り「美」や「アート」の本質をゆがめたり、自分の都合のいいように作り変えたりしない、そう誓いました。
正直言って、分かってくれる人は少ないでしょう。難しそうだからと敬遠されることも想像できます。
でも、一人でも「美」や「アート」の本質について知りたいという方に、私の今までの知識や経験が役立つのなら、やる意味があると考えています。
私ごときが「美」や「アート」という人類の遺産に対してできることなど、塵(チリ)のようなものですが、知りたいという方がいる限り、全力でお伝えしていこうと思い、こうしてあなたにお話ししているというわけです。
幸い、私は「日本の人文知を守る」という理念のもと寄付活動・研究者支援・普及活動を行う「東京官学支援機構」の理事に就任することになりました。
私たちの団体は大学に代表されるアカデミズムに貢献しますが、それに服従するわけではありません。
究極の目的として、国のために貢献することを重視していますので、アカデミズムに苦言やアドバイスができる立場を確保しています。
そのためにジャーナリズムの役割をにない、出版やデータベース構築を行い、アカデミズムと同様かそれ以上の最上位の情報にアクセスできる立場を確立していきます。
これにより、より正確で、高度な「美と知」に関する情報が手に入るようになりました。
おかげで人に伝える際も、自分の主観で「美」をねじまげる可能性もほぼ無くなります。
東京大学、東京芸術大学からも情報提供をいただいている団体ですので、日本における教育や文化への施策の情報も入ってきますので、日本独自の問題点も高い視点から皆様にお伝えすることができます。
このような日本の人文科学を支援する団体に所属していることで、巡り巡って私の故郷の京都や日本文化を支えることになるというのは、
私の大きなやりがいとなっています。