創造力は具体策からは生まれない。抽象思考しないビジネスは負ける

 

今ビジネスの世界では、イノベーション、破壊的創造について語られることが多くなってきました。しかし、創造力が大切だ!イノベーションを起こせ!というわりに、じゃ、創造力ってどういうものか、きちんと説明できる人はいません。私なりに考察してみたいと思います。

 

空間的拡大が出来ないビジネス

今、創造力の必要性が言われている理由は、すでにすべての分野でマーケットが飽和状態であることが一つの原因です。

もう地球は狭くなってしまったというわけです。

未開の地、新しいお客がいる内は今までの成功した手法を場所をかえて展開すればよかったのです。

アメリカで流行ったものを日本で売る。
日本で流行ったものをアジアに売る。

しかし、これには限界があります。地球上のすべての国に今あるマーケチングやセールスの手法で売りつくしたら、一体どこに売ればいいのでしょう?

しかも、グローバル企業が世界の隅々まで牛耳ってきているなかで、中小企業が立ち向かっていくことは非常に困難であろうことは、ビジネスマンでなくても、子どもでもわかります。

「陣地取りゲーム」の陣地がなくなったらゲームオーバーというわけです。

そこで、場所を変えるのではなく、同じ場所で全く新しいマーケットを作り出し、いわば、仮想のまだ見ぬフロンティアを作り出そうという考え方が出てきているわけです。

 

創造力とは何なのか?

世の中の人は「創造力を高めましょう!イノベーションだ!」というわりに、では創造力というものがどういう物なのか、明確にできていないと私は思います。

そのため、個人、個人によって創造力の定義が違い過ぎるのです。

あなたは創造力とはどういったものだと思われますか?

 

辞書を引用すると
創造とは「それまでなかったものを初めてつくり出すこと」(三省堂 大辞林)とありますが、一般的な認識だとこの程度のあいまいな、漠然としたものでしかないのだと思います。

 

実は、創造力がどのようなものであるか?人は良く分からずに
「なんか、新しいものを出せ!今までにないものを作れ!」とビジネスの場面で言っているわけです。

まず、何か目標を立てるときには、その目標がどういったものなのか?徹底的に考えることご重要です。

そうしないと、スローガンだけはあるけど、何を目指せばいいかよくわからない、具体的行動はとるけれどそれが目的に合致しているのかよくわからない、ということが起こってしまいます。

アートから見た創造力

私は創造力をアートの文脈から考えています。

アートというのは、創造の連続です。
誰かの物まねというのは、アートの世界では全く価値をもちません。

 

ここで重要なのは物まねというのが、外見が似ているかどうかではないということです。

 

とくに現代アートには、ちまたにあふれる商品パッケージや過去の偉大なアート作品をそっくりまねしているものがありますが、それでも、アート作品として評価が高いことがあります。

 

例えば、
アンディ・ウォーホルはどこのアメリカのスーパーマーケットにも並んでいるキャンベルスープの缶詰をそっくりそのまま書き写して作品としたり、石鹸が染み込んだスポンジという台所用品を段ボールにつめて配送するその段ボールと全く同じ大きさデザインで、わざわざ板で箱を作り、その上にシルクスクリーンという版画の技法で彩色している作品もあります。

つまり、アート作品なのにデザインまるパクリなわけです。

 

しかし、アンディ・ウォーホルはポップアートの旗手として、非常に評価が高いのです。

人の物まねが全く評価されないアートの世界で、なぜ、まるパクリなのに評価が高いのでしょうか?

それは、
今までのアートの常識を根底からひっくり返すコンセプトの強さがあったからです。まさに、ウォーホルはアートの文脈に新しいアートの世界を創造したからです。

このように、本当の創造力とは、根底から世界観を変えさせる力があるものです。

 

創造力にもレベルがある

見た目、方法、切り取り方などではなく、また、ある物と別のあるものを組み合わせて新しいものを作るとか、より素晴らしい技術革新をするとか、そういうことではありません。

そのような物は、ある世界観、文脈にそって作り出されるものです。そういった既存の文脈に沿って作り出されるものは創造力という点ではレベルが低いのです。

 

そう、創造力にはレベル差があるということを忘れてはいけません。

 

ある決められた分野での実際の物づくりでは具体的な方法は非常に有効で、日本はこういうことが得意で、さまざまな素晴らしい製品を作り出してきました。

 

しかし、今の世の中で求められているのはそのような具体的な創造力ではありません。

具体的な物や製品を作り出している文脈自体を作り出す創造力です。

 

そういう意味で言えば、日本人は具体に強く、抽象に弱いといえます。

 

具体的な商品や物をすばらしい技術で改良し、加工し、ただの素材から信じられないようなクオリティーの物を作り出す能力は非常に高い。

そういうものが、ビジネスの分野だけではなく、日本の伝統産業、漫画、やアート作品に多く見らえます。本当に日本人の手先の器用さとか、センスは素晴らしいです。

しかし、文脈を作り出せる人はどの分野でも非常に少ない。

 

西洋諸国が作り出した文脈に乗っかって、その中で一番を目指すのは得意ですが、誰も考えたことがないような文脈をつくりだして世界の人々がそれに合わせようとする文脈創造がほとんどないのです。

 

日本独自の伝統文化やアニメやオタク文化を世界売り込もと「クール・ジャパン」とか言ってますが、他人の文脈に乗っかって安易なマーケテイングをすることだけをしていて、結局企業にお金をばら撒いただけで、価値の創出、確固とした文脈の創造にまで至っていません。

 

今のクール・ジャパンに比べれば明治時代に、まず英語で現本を出版した岡倉天心や新渡戸稲造のほうが、西洋人が考える価値の創造とは、文脈の創造とその言語化にあるということをよく理解していると私は思います。

 

ウォークマンとipodはインターネットの差ではない

ビジネスの場面で考えれば、かつて、ソニーがウォークマンを作って爆発的に売れたのは、新しい商品を開発したからではなくて、音楽を自分一人で外で楽しむというライフスタイルの文脈を創造したからです。

これは素晴らしい文脈の創造だと思います。そのライフスタイルを実現するためにウォークマンという製品を作ったわけです。

それは、今のスマートフォンで音楽をいつでもダウンロードして楽しむというライフスタイルとして続いています。

 

ソニーの製品は素晴らしかったけど、創造力=新しい製品開発と定義から逃れることは出来ませんでした。新しく生まれた文脈を具体という製品目線でしかとらえることが出来なかった。

アップル社は音楽を自分一人で外で楽しむというライフスタイルの文脈への変化を文脈の下流に位置する製品開発として考えるのではなく、より抽象度の高いの音楽ビジネスの変化ととらえた。

 

今まで個人的に音楽を所有し楽しむ人のためにレコードやCDを売るという音楽ビジネスの文脈を、いつでもどこでも音楽を楽しむためにインターネットからダイレクトにダウンロードして機械にいれておけば、いつでも好きな音楽を聞けるビジネスに文脈を変えてしまったわけです。

いままでの音楽ビジネスという文脈に合致することを目的に作られたウォークマンは、新しい音楽ビジネスの文脈にはまったく合致せずに負けてしまった。

 

 

一般的にはインターネットの技術を音楽業界に応用した点が評価され、「インターネットというツールはスゴイ!」ということで、「インターネットの文脈でどんな新しいものを作りだそうかな?」と考えるのは結局、文脈の後追いでしかありません。それがダメなのだと思います。

 

注目すべくはインターネットというツール(物)ではなく、アップル社がどうやって新しい文脈を作り出すことが出来たかという、あたらしい文脈を作り出した思考回路にあります。それは眼には見えないし、分かりづらいものですが、それを考えない限り誰かが作った文脈の後を追うしかなくなります。

 

日本はそういうことが非常に多いですね。

既存の文脈で技術を磨きトップに立ったら、新しい文脈を作られて、文脈が変わればルールも、合致する製品も変わるので負けてしまいます。

オリンピックで日本人が活躍しトップを独占するようになると、ルールが変更になり、勝てなくなるとのにています。

 

抽象思考の訓練を受けていない日本人

こういうことが起こるのはなぜか?

 

それは日本人が抽象的に考える訓練をしていないせいだと私は考えます。

具体を考えるのは得意だけど、抽象的に考えるのが苦手、
というより、
抽象的に考えるということがどういうことなのか理解していないのです。
別の言い方をすると、
抽象的に考えるという考え自体を知らない。

 

抽象的に思考することと、ただ空想したり、妄想したりすることだと勘違いしている人が圧倒的に多いのです。
抽象思考は非常に論理的であって、決してあいまいな物ではありません。

 

ですから、よく「じゃ、具体的にどうすればいいんだ!具体策を出してみろ!」と鬼の首を取ったかのように言う人が多いですが、ちょっと「具体」を信じすぎじゃないですか?と言いたいです。

具体の方は眼に見えて分かりやすいので、それが世界の真理のすべてだと信じ切っているのが見て取れます。

 

西洋のトップの経営者、学者、知識人、アーティストは具体よりも抽象思考を圧倒的に重要視しています。というより、物を考えるときには抽象思考をすることが、当たり前の思考方法となっているようです。

それは、インタビュー記事や彼らが話す内容に哲学的なエッセンスが至る所に見受けることができることから分かります。

(哲学を学んでいないとその文章から哲学の要素を見つけるのは難しいでしょう)

 

なぜそのように抽象思考をするのかというと、物事の上流を支配することが、世界を動かすことだと知っているからです。

 

それは今の世界の知の標準、「学問の世界」が哲学を源流にしており、さまざまな学問をうえの視点から考察することが出来る学問は哲学以外にないと知っているからです。

ヨーロッパでは哲学は学問のなかでも、特別にリスペクトされているのです。
それは、物事を考えるという学問の基本を追求しているからです。

はっきり言って、商品開発や技術革新に比べればわかりにくい、数値として表しづらい。だから、思考力が無い人を納得させるのは難しい。

しかし、世の中を動かす優秀な人たちが具体よりも抽象思考が圧倒てきに大切だという共通認識を持ってその文脈で活動するなら、これは最強です。

どれだけ具体的なことが素晴らしくできたとしても、それを生かすも殺すも、上流を牛耳っている抽象思考が得意な人たちなのです。

 

 

私は有名なビジネスマンでもありませんし、学者でもありませんが、このような私でもアートと現代哲学を長年学ぶことで、このようなことを考えられるようになりました。

私よりももっと優秀で、社会的影響力のある人が、もっとアートや哲学を学んで、高いレベルで抽象思考ができるようになれば、日本はもっと活躍できるし、今あるリソースを活用できるのではないかと、本気で思っています。

微力ながらこれからも、少しでも多くの人にアートと哲学の凄さ、強さを伝えていきたいです。



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