アートにビジネスを持ち込むのはアートに対する冒涜。
時々、そのように言われることがあります。しかし、それはビジネスに対する基本的な考え方が私とは違うようです。
商売人気質
私自身はサルサダンスのインストラクター、振り付け、プロデュースをしたり、教室ビジネスのアドバイスをしたりいろいろしてますが、じゃ、あなたは何者ですか?と言われると「商売人です。」と言います。
実家は京都の表具師で、もう三代目になる職人の家であり、商売人の家ですので、小さいころから「商売」という言葉に愛着があります。
「商売人は○○せんといかんで。」
「○○が商売には大切や。」
と一見、正直で、優しい父ですが、ポロっと商売を語るときは「正直にやっててもダメなときもあるんや、せやけど、やったらあかんことはあかん。」
と言ってました。自分は正直にやっていっても、理不尽な目に合うこともあります。そんなことは百も承知してる父ですが、それでも「やったらあかんことはあかん。」というのは職人・商売人としての矜持だろうと思います。
父だけでなく長く商売をしている人には、商売の種類・規模に関係なくそういう矜持を見ることが出来ます。
職人・商売人の父ですが、頑固一徹というよりも、ひょうひょうとしていて、面白いことを言ってボケてます。
「それがどうした。」って感じで、糠に釘打ちといいましょうか、なんだかつかみどころのない人なんですね。
昔から関西にはお上や坊さんは建前ばっかり言うけど、商売人は地に足つけて、世の中動かしてるんや、という気風があるように思います。
権威を信じてないんです。利用はするけど。
そういうスタンスも私が自分のことを「商売人です」という所以でもあります。
広告ポスターはゴミでもある
さて、本題ですが、
商売ってものを売ることですが、人は物を売りつけられることは好きではありません。
でも、自分の欲しいものはお金を払っても手に入れたいと思います。
そういう点から考えると商業ポスターというのは、その商品に興味がある人にとっては嬉しいものですが、興味のない人にとって見れば、迷惑なゴミでしかありません。
つまらない、興味ない商品の宣伝で街を汚しているわけです。
ポスターがなければ、町は随分すっきりして、美しくなるという美観の問題もあります。そういった面で考えると人目に触れる場合、商売・ビジネスも美しくあるべきです。
先日行った「サヴィニャック パリにかけたポスターの魔法展」。
彼のポスターは商業ポスターから広報までさまざまなものがありますが、すべてユーモアに満ちています。
ポスターは一般的なアートとは違い、商品がアピールしたい点を明確に表現することが一番大切にされています。
アートよりも表現の幅がせばまってしまうわけですが、だからこそ、作者の考え方やその表現の仕方が際立ってわかります。
ポスターの色彩、描かれるモチーフも見た目に素晴らしいのですが、なんといっても絵画的な美しさ、楽しさと同じくらい重要なのは言葉のユーモアです。
フランス語の単語からイメージされるものを、モチーフに選ぶことで、ポスターを見る人はサヴィニャックの楽しい言葉のなぞなぞに気づき、それを解くことで「なるほど!!上手いこと表現してるね!」とニヤニヤして、サヴィニャックのポスターのなぞなぞを人に伝えたくなるんですね。
サヴィニャックのポスターにはほとんど文字は描かれません。
しかし、一目見れば明らかにわかる!
または、そえられた一言二言で、その絵のユーモアが解る。言葉が絵の補足になっていることもありますが、言葉と絵が真逆のことを表現していることもあります。
そのナンセンスな表現も面白い。
彼のポスターは商品にまったく興味がない人でも街にあると楽しめる、面白がれるものであるところが凄い。
つまり、商品の性能や説明が重要なのではなく、商品がもたらす人々や生き物の反応を描くこと、そして、描かれたものを見てすべての人が楽しめ、面白がれることなんです。
そういうポスターは愛されます。
売りつけてこない、逆に楽しみをもたらしてくれるからです。
他人がいるからアートも商売もある
商売って、それを買う人のためだけを考えてるとどうしても、「買って!買って!」となりがちですが、それを買わない人にも有益であるなら、そういったビジネスくささがなくなるのではないかと、私はサヴィニャックの展覧会を見て思いました。
アートとビジネスを同列で考えるなんて、アートに対する冒涜だ!と考える人も多いと思いますが、私はそうは思いません。
ビジネスって、人に物を売りつけて自分だけ良い思いをするものと考える人がそんなことを言うのです。
商売にはもっと全人格的な広い意味があると私は考えています。
どういうものを売るか?どのように売るか?それを人に提供することでどのように他人が喜ぶか?
というのはアートで
どういうものを創作するか?どのように展示するか?それを人に提供することでどのように他人が喜ぶか?
と同じだと思うからです。
人とつながらないものはアートではない。
共感であれ、批判であれ、人の目に触れてはじめてアートとなると私は思います。
商売も一緒。
人に提供するからそれが商売になり、商品となる。
できるなら、自分の商品を必要としない人にも有意義で、面白がっていただけるものを創り出せたらと思います。