独自性を主張して、陳腐になる

 

日本文化の独自性をもとに差別化をはかることは、ビジネス、観光業、製造業など様々な分野で行われています。

アートも同じです。

今日は日本文化を西洋彫刻や公園、ラウンドスケープに応用し、独自の表現をした彫刻家イサム・ノグチを取り上げます。

先月まで展覧会が東京で開催されていて私も観てきました。

展覧会のHP(http://www.operacity.jp/ag/exh211/)をご覧いただければわかりますが、

ロサンゼルス生まれの日系人のノグチは日本人女性と結婚し、日本に住むようになります。

そこで日本庭園や埴輪だけでなく、何気ない日本人の暮らしにある日本独特な造形の面白さに惹かれ作品を作りだしていきます。

当時はまだまだ、日本文化が世界に知られていませんでしたし、日本人アーティストが世界で活躍するような段階ではありませんでした。

ですから、西洋のアートシーンではセンセーショナルだったのです。

しかし、現代の我々からみれば、もうすでに見たことがあるような造形やデザインに感じてしまいます。

このようなその国独自の文化の形式を抽出し、西洋のアートと組み合わせて作り出すことは、もうスタンダードともいえる定番のアイデアの手法です。

このように、その当時は先進的な手法も時間がたてば、凡庸に見えてしまう。

(だからといって、イサム・ノグチの功績が失われるわけではありません。)

東洋的な文化や形式が注目を集めた一つの要因は、西洋と東洋という二項対立的な物の見方が主流だったせいです。

しかし、今はアートの世界ではそのような二項対立的な世界観はすでに「古い固定概念と西洋優位主義」であるとして、そのようなコンセプトは陳腐で、ステレオタイプであるとされます。

日本と言えば富士山、芸者、着物とか。

西洋がスタンダードで日本が独自なのか?ということ。
日本がスタンダードで西洋が独自であるという主張も本来できるはずです。

しかし、そう発想しないということは、私たちがどれだけ、西洋と東洋という二項対立、しかも、西洋優位の価値観に染まっているという証です。

差別化のやり方もまちがえると、逆に陳腐にみえる可能性があるので気をつけなくてはいけません。

それに気づくにはその上位概念が何かが分からないとダメなんです。



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