アートを使ったコーチングやセラピーの残念な点

実はアートを使ったアートセラピー、芸術療法などの心理療法は以前からありますし、アートを活用したコーチングをしている方もいますが、残念ながら私が学びたいようなものではありませんでした。

その残念な点について述べていきます。

 

現代のアートに思考力は必要不可欠

まず、コーチングやセラピーでアートを活用している人たちの「アートがどういう物であるか?」という捉え方が本来のアートとは全く別物であることです。

 

現在のアートの在り方は、非常に高い抽象度での思考によって、世界を解釈し、それを作者の意図によって作品化するというものです。

すぐれたアート作品の中には、今までの歴史にある人類の思想と、それを変革したり、解釈を変えていこうする現代の思考、そして、作者の思考が何層にも重なり、それが作品のもつ「質の強度」となっています。

つまり、現在のアートとは抽象的な思考力と幅広い教養と強固な意思で作られたものなので、鑑賞者も同等のレベルがないと、その本質を理解できません。

 

アートシーンも幅広いのと、どこからどこまでがアートと言えるのか?ということもありますが、今現在、アート業界で高い評価を受けている作品の多くはそういうものだということです。

 

芸術療法のルーツ

ひるがえって、コーチングやセラピーではアートをどうとらえているかというと、「子供のお絵かき」レベルです。つまり、自由に感じるままに遊ぶように描くのがアートですよという考え方です。

そうなってしまった理由は、心理学の歴史から見ていけば理解出来ます。

 

 

アートセラピーは絵画療法 、芸術療法ともいわれ心理学の心理療法の一つです。その発祥のルーツはフロイトやユングの精神分析から始まります。

 

精神分析は当初、神経症の成人を対象にしていましたが、1920年代からは子供を対象とした精神分析にも発展していきます。

子供は言葉をうまく使えないので、言葉ではなく遊びを自由連想(心に浮かぶままの自由な考えを連想していく発想法)ととらえて、その子供の状態を精神分析的な解釈で読み解ことする動きが生まれてきます。

 

また、精神分析では幼児期の体験が重視されます

1920代ウイーンでは、精神分析を受ける患者の子供のための学校が設立され、精神分析の手法を学んだ学校の教育担当者がブロスとエリクソンでした。

二人は子供たちと接する中で人間の発達に関する研究を行いました。とくにエリクソンは、生まれてから成人するまでの人間の発達と段階についての研究、アイデンティティーを研究のテーマとし、心理学だけでなく、教育学や社会学などに大きな影響を与えました。

 

現在では大学の講座で芸術療法を教えている所はありますし、臨床心理士(レベルとしては指定された大学院を修了し、試験に合格した人)も芸術療法として、子供だけではなく幅広い年齢層に施術を行っています。

 

 

もう一つの芸術関係者からのルーツ

このようなアカデミックなルーツとは違う流れが、アートセラピーにはあります。

1940年ごろからはじまったものですが、芸術家や芸術分野の研究者が自分や精神病の患者の心を癒すためにはじめた活動がもととなっています。つまり、心理学から生まれたものではなく、芸術家からの流れです。

 

実はそれにも、フロイトの精神分析の考え方が影響を及ぼしています。
フロイトが考えた「無意識」という概念はアートにも非常に大きな影響を与えます。無意識を活用して芸術作品を作るシュルレアリズムというアートジャンルも出来ました。

そういう経緯から、当時の芸術家が人間の心をいやすことと芸術活動を結び付けて考えたのでしょう。

 

彼らの活動では心理学的な解釈をすることも避け、学問の枠に囚われず絵を描いたりする芸術のような自由な創作活動をすると経験的に心をいやす、セラピー効果があるということで広まったものです。

 

その後、心理学の要素が付け加わり、アートセラピーとして発展しました。

アメリカとイギリスに大きなアートセラピーの団体があり、そのセラピストの質を保証しています。

 

無意識は本当にあるのか?

二つのルーツから分かることは、アートセラピー(芸術療法)においてフロイト無意識の概念が大きな柱となっているということです。

 

実は、フロイトの精神分析は疑似哲学であり、疑似科学です。つまり、哲学としても科学としても中途半端な考え方で、根拠が薄いということです。

心理学はそういう科学的な根拠に薄い精神分析から脱却するために、様々な帰納法的実験を行ってきました。脳科学や認知科学もその流れからの到達地点と言えます。

 

それに対し、アートセラピーや芸術療法は無意識の概念を柱に、客観的数値を出す実験ではなく、経験やクライアントからの反応をデータとして集めその根拠としてきました。

そこには最初は言語表現が難しい子供が対象者であったこと、言語表現を必要としない芸術家からの流れが見て取れます。

私がこのサイトで何度か言っていることですが、その学問の前提がその学問の限界であるということをここでも確認していきましょう。

 

 

「無意識」はあるのか?

私はフロイトは意識を発見した、そして、無意識を「想定した」と考えています。

意識を存在させるためには、無意識という概念を対極として必要とします。

つまり、意識がある状態と意識がない状態があるということです。そのことは普通に人を観察していれば分かります。

その意識がない状態を「無意識」と名づけ、定義づけたのがフロイトであると

 

それまで、意識のことばかり考えてきた人達は「そういえば、意識のない状態=無意識について考えたことが無かった。意識がないのだから、なにもそこにはないと考えていたけれど、何かあるのかも知れない。」と考えました。

 

しかし、無意識について考えるということは、大きな矛盾をはらんでいます。

「無意識とはこうである」と言語化した時点で、それは意識となってしまい、本当の無意識とはかけ離れてしまうのです。

つまり、研究すればするほど、答えが逃げていく。それが、答えなのかも判定できない状況になります。

 

現代の最先端の脳科学でも「意識とは何か?」ということははっきりとわかっていないのです。意識とは何か?が解っていないのですから、その反対の無意識が解るはずもありません。

 

分からないからこそ大きな謎に立ち向かいたいという人の好奇心と情熱が、無意識の概念を心理学の分野だけではなく、芸術や社会現象にまで広めたのでしょう。

 

そのように無意識の定義があいまいなのですが、アートセラピー(芸術療法)も、きちんと訓練を受けた臨床心理士などが活用すれば、心理療法のツールとして十分活用はできると思います。

 

しかし、それは所詮道具でしかありません。それが、なければ他の道具を使えばいいという程度の物です。そこにはなんの科学的根拠もなく、現代哲学的な観点から見れば、作り話を使ってクライアントを納得させ、それを行う療法士は作り話を根拠にしているだけと見えてきます。

 

きつい言い方をすれば、占い師とお客のような関係です。
占いを信じる占い師とお客との間では、占いで出た結果とそれを語る占い師の言葉が真実になるということです。それが心理学のなかでも行われています。

(上記のことについては、こちらの記事で詳しく書いています。コーチング、カウンセリングのトラウマの捏造)

 

それで、気分が晴れたり、勇気をもらったり、気づきを得たと勘違いすることはありますが、所詮、「占い」という世界観のなかだけの話で、様々な世界観が混ざり合う現実世界とはかけ離れているのです。

そのため、そのようなセラピーを受けても現実世界では通用しないことがほとんどです。

 

 

メタ・アーチングにおけるアートと意識

私が提唱しているメタ・アーチングは従来のアートセラピーや芸術療法とは全く違うコンセプトで作り出されています。

 

まず、アートを無意識の発露とは考えず、抽象的な思考の結晶だと考えます。

そして、無意識ベースに理論を組み立てるのではなく、現代哲学を基礎とした思考力をベースに理論を組み立てています。

 

それが本当の意味でアートポテンシャルを最大限に引き出した活用法であり、現実的に人の人生を変えてく質が保たれるのだと私は考えます。

結局、現実世界を理想論ではなく、冷徹に見ることができなければ、現実でのより良い変化はうまれませんし、ましてや人を導く仕事をする人が正確に世界を見れていなければ、どうしようもないです。

そのうえで、どのようなツールや手法を使うのか?を考えることが大切です。

ツールや手法ありきというのは、本末転倒です。

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参考文献:「心理学史」サトウタツヤ・鈴木朋子・荒川歩著 学文社



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