好きな仕事ばかり探すと快楽は少ない

痛みを快楽に変換する

アーティストは自由に自分の作りたいものを作っている、というのは幻想です。
では、全く作りたくないものを作っているのか?というのも違います。

そういう発想自体がビジネス、コーチング、カウンセリングの場面で間違う原因になっています。

好き嫌いはビジネスに関係ない

まず、最初に言えるのは、好き嫌いと、世の中で認められて上手くいく、いかないは関係がない、ということです。

まだ、売り出し中のアーティストが画廊やプロモーターと組んで作品を売るということになれば、自分の想いのままに作品を作るということは出来ません。

このアーティストを今後どのように売り出していくか?という戦略ををプロデュースする方は考えます。それで、今後は○○の路線でブランディングしていこうということになれば、いくら作家が他の作風の作品を友達から頼まれたから描きたいなと思っても、描くことは出来ません。
(もちろん、描くことは出来ますが、プロモーターとは手を切ることになります)

そうなれば、発表の場などは制限されることになります。

 

いや、プロモーターに頼まなくても、世間に受け入れられる斬新な作品を作ればいいじゃないか?

という話もありますが、そうなれば、もっと自分の好きな絵を描くことができなくなる場合もあります。

誰もが驚くような斬新な作品はあなたが「描きたい絵」とは全く違うことの方が圧倒的に多いからです

画家ゴッホを知らない人は現在はほとんどいませんし、その作品は何十億で売買されます。しかし彼が生きていた間に売れ絵はたった1枚です。

ゴッホは信念の人で最後まで自分の描きたい絵を追求しましたが、残念ながら生きている間は弟からの資金援助でなんとか画家として生活できていたという状況です。

 

反対にピカソはアーティストとしても、ビジネス的にも大成功しました。では、ピカソは自分が好きな作品ばかり作っていたか?ということは誰にも解りません。

本人がそう言っていたとしても、アーティストがインタビューなどで語る言葉は自分の作品のブランディングを考慮して話していますので、すべて真実とはいえません。

結局、好きか嫌いかという問題と世間に認められ成功することには、確固とした相関関係があるとは言えないのです。

 

ですから、好き嫌い、やりたいやりたくない、にこだわり過ぎないことです。
ビジネスと好き嫌いをリンクさせて考えすぎるのは、あなたが本当はビジネスをしたいのではなく、自分を満足させたいだけなのです。

 

なぜ、そんなに好きな仕事にこだわるのか?

それは、人間は本能的に「快を求め、痛みを避ける」性質があるからです。

辛いこと、痛いこと、厳しいことを出来るだけ避けて、楽なこと、心地いいこと、快楽を求めます。

好きなこと=心地よいこと(快楽)

と頭の中で結びついているのです。

ですから、好きなこと、好きな仕事をしていれば、快楽の多くなると思っているので、好きな仕事をしたいと思い、それを探し続けます。

 

 

痛みが快楽に変わる

しかし、好きなこと=心地よいこと(快楽)
という考え方は、人間の表面的な部分でしかありません。

人間は時に、

不快なこと、痛み=心地よいこと(快楽)

と結び付けて考えることができます。

 

実際に、アート作品でも、グロテスクなものや、死を描いたものや、醜い作品に評価が集まり、人が集まるということがあります。

 

日本の現代アーティストの会田誠さんの作品などは、美少女がはらわたをはみ出して、可愛い笑顔でほほ笑む作品とか、一見渋い山水画かと思えば克明に描かれたサラリーマンの死体が累々と重なり合っている作品とか

会田さんの場合はエロ、グロを表には出してますが、その奥には緻密な思考があり、それを自分でかく乱するために、そのような表現をしている部分があります。

 

他にも、東京都美術館で2017年に開催された「怖い絵展」は、多くの観客を動員しました。
嫌な物や汚いものは見たくないといいながら、どこかで惹かれてしまう。

人間は快を求め、不快を避けるという本能とは別に、
痛みや不快なものに快楽を感じる思考があるのです。

 

ですから、はたから見れば過酷な修行や練習をしているように見えるが、やっている本人はそこに達成感など快楽を見出していることも多いのです。

生きている間は全く報われなかったゴッホも、本人は新しい絵画を探求することへの快楽があったと私は思います。

快楽と痛みに優劣はない

そう考えると、本能的な快楽ばかりに目を向けるのは、おかしいということになります。

コーチングやカウンセラーがよく注目している

「あなたの本当にやりたいことは何ですか?」
「あなたの好きなことは何ですか?」

というのは、片手落ちな質問であるといえます。

そこには、
好きなこと(快楽)は嫌なこと(痛み)よりも、価値があるという思い込みがあるからです。

 

 

今まで見てきたように、

快楽と痛みはいくらでも、入れ替わることができるものです。

人間は本能的な快楽と痛みだけでなく、思考としても快楽と痛みを判断しているからです。

多くの人はそれに気づかずに単純な本能的な快楽を求めてばかりいますが、思考的な快楽を求めるほうが、現代では多くの幸福感や成功につながります。

 

それは、今は原始時代のように、生存すること以外の快楽が重視されてきているからです。

栄養が補給されれば生きていけるのに、限定品のケーキを買うために何時間も並んだり、何万円もするワインを買ったりします。

最低限の食事で生き延びることだけで快楽を感じる人は、現代社会では少ないのです。

もう、快楽というものの定義が変わってきています。

 

これからは、

本能的な価値「快楽は痛みに勝る」だけでは満足できなくなりますし、得られなければ価値がないなどと思ってしまいます。

 

思考的な価値「痛みは快楽に勝る」と変換できる人が、本当の充実した人生と成功を収めることができるのだと私は考えます。



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