
よく理想の仕事は何?どんな仕事につきたい?
という話になった時、よく言われるのが「人に感謝される仕事をしたい」というものです。
コーチングやカウンセラーを志す人は、もともとの仕事の内容が「人をサポートする」仕事であり、自分がサポートしている人が目の前にいますし、反応も見れますから「人に感謝される」仕事の代表格といえます。
しかし、「人に感謝される仕事」としてコーチングやセラピーを始めると落とし穴があります。
自分が感謝されたいだけ
「人に感謝される仕事をしたいんです!人を笑顔にする仕事がしたいんです!」という人を見ていると多くは、実は人のためではなくて、自分が感謝され、自分が笑顔になりたいんだろうなと感じることが多いです。
人のためというより、自分の承認欲求を満足させるために仕事をしているのです。
人をサポートする仕事というのは基本的には黒子です。
サポートする相手が良くなるようにさまざまなことを行いますが、それをクライアントが自覚してくれることは少ないのです。
もちろん、セッションで話をし、何らかのアドバイスをして、そのおかげでよくなった、などと因果関係が解りやすいものもあります。
ノウハウ系のアドバイスとはまさにこう言ったものです。
- クライアントが気づいていない人間関係の見方を伝えましょう。
- FaceBookで友達1000人集めましょう。
- クライアントの人間関係をよくする方法をノウハウの中からいくつか提案しましょう。
などと様々な分かりやすいノウハウがあふれています。
人生相談、人間関係、ビジネスなどなんでもそうですが、
アドバイスをして、そのままクライアントが実行して上手くいったら感謝されます。
しかし、こういった感謝という物を私自身もいただくことはありますが、どこか後ろめたい気持ちになります。
なぜなら、たまたまこういった事象に私のアドバイスがピッタリであったことは喜ばしいことですが、クライアントがまたそのような事態になった時に、自分で考えて解決策を出すことができるのか?もっというと、そういう事象に陥らないようにもっと前に防ぐ手立てを自分で考え出すことが出来るようになるのか?
そう考えると、ただその場、その場でアドバイスしても、対処療法でしかないなと思うのです。
もっと本質的なことを伝えなくてはいけなかったのではないか?
そう、自分で反省する気持ちになるのです。
考え方によっては、その場その場で困ったら相談してもらった方がビジネスとしてはオイシイってことになるのでしょうけれど、それが本当にその人のためになるのか?
クライアントが喜んでるんだから、その程度でいいのか?
実際、ノウハウのように因果関係が分かりやすいものの方が感謝されやすいです。
教えたものがそれほど重要でないとしても、クライアントが喜んでいるんならそれでいいじゃないか!ビジネス的にもOKだし、提供している自分も嬉しいし。
そういう考え方もあります。私も十分理解してますが、やはり
「えっ?それで本当にいいの?」と考えてしまいます。
私はダンス指導やビジネスコンサルタントの仕事を通じて、人に教えたり、サポートするときに一番重要なのは、一つ一つのアドバイスその物より、そのアドバイスを受けた人がそのアドバイスの背景、構造を一緒に理解できるようにすることです。
そのためには、クライアントが何も知らない地点にいるときから、彼が成長して私のアドバイスをふと思いだし、
「以前、あの人が言っていたことの重要性が解らなかったけれど、今、アドバイスを聞いて今の問題が以前分からなかった話とつながっていることが理解できた!」
もしくは、本人は気づいていないけれど、私のアドバイスや話す内容が、本人の思考力の基盤の一つになっていることです。
つまり、クライアントが気づかないところで、相手に言葉と思想の種をまき続けることです。
アドバイスしない忍耐
まず、サポートする側がクライアントより視点が高く、視野が広いことが大前提です。
そのうえで、クライアントの今のレベルでは分かってもらえないことも、伝え続けなくてはいけません。時には、アドバイスをあえてしない、無いも言わないということも必要になります。
相手が自分で考えたり、チャレンジしたりする機会をつぶさないようにするためです。
人は人のアドバイスで成長するのではありません、
人は自分の力で成長するのです。
残念ながら、聞いたらすぐにアドバイスをくれる人がいい先生だと勘違いしている人が多いです。
私は日本の伝統芸能の世界で修業してましたが、基本、師匠からアドバイスなんかもらえるという考えなど存在しません。
怒られ、注意されることはありますが、どうしろ、こうしろとは言われません。
なぜ、こうするのか?なぜ、ダメなのか?
自分で考えて実行していくしかないのです。
時には「なんでこんなことで、怒られるのだろう?」と理解出来ないこともあります。
逆に「なぜ、今は怒られないのだろう?」ということもあります。
しかし、それは仕方のないことなのです。
修業とは、何にも分かっていない人間が、世の中や業界を見渡せるプロに学ぶことだからです。
なぜ、師匠が怒るのか?怒らないのか?
その時点で視点の低い人間にそのことがわかるはずがないのです。
たとえ、その理由を師匠が語ったとしても、視点の低いものは理解できないし、変に解釈をゆがめて受け止めてしまうからです。
師匠としては、だまって、私が成長するのを待つしかないのです。
それは大変な忍耐がいることだと思います。
自分が人を教える仕事をするようになって、つくづく思います。
すぐにアドバイスをくれる人を優しい、親切な人と思う人は、本当に自分のことを考えてくれる人の存在に気づくことができません。
また、人にすぐに感謝されることを望んでいるうちは、本当の意味で人の成長を願う資格はありません。
私が今思い出して、ああ、本当に生きていくうえで大切なことだったのだ、と今思える事柄の多くは、
師匠や先生や先人の直接的なアドバイスではなく、ましてやノウハウでもなく、諸先生のなさっていた人に対する態度や何気ない一言にあります。
私はもう、「師匠のおっしゃってたことはこういうことだったのですね!ありがとうございます!何十年もたってようやく気づけました。」と感謝を述べたくとも、もう亡くなってしまった方にはそれを伝えることはできません。
人をサポートする、アドバイスする仕事は多くは黒子的な仕事で、本当に重要なことを伝えることは時間がかかり、その時、その時では報われない仕事だと思います。
「人に感謝される仕事」というのを目的にしていると、長い目で見ると人の成長を止めてしまうこともあります。