美のないコーチングは弱い

美とはどういうものでしょう?
世の中には「美しさを手にいれましょう!」というスローガンが溢れていますが、アートの世界では「美」の基準は世間とは違い「美しくない美」も存在します。

「美」を題材にしつつ、コーチングや教えることの本質について書いていきます。

アートにおける美の原点

一般的には綺麗な、心地よい、端正な、崇高な、無駄のないといったものが「美」と言われています。こういったものの考え方はどこからきているのでしょう?

 

アートにおいて「美」の原点はギリシャ時代にさかのぼります。哲学者プラトンの提唱したイデア論が一番源流といえます。

イデア論とはこの世に存在するものはイデアという抽象的な物であり、私たちが目にするものはイデアに似せて作られたものだという考え方です。

実ははプラトンは芸術家の価値は低いということをイデア論を用いて述べています。

 

しかし、プラトンのおかげで問題提起がされ、その後多くの哲学者や美学者が今日までプラトンの解釈を打ち負かすために「美」について研究がなされたともいえるのです。

 

その後、プラトンの弟子アリストテレスはイデア論を別に解釈し、芸術がより哲学にちかい高尚なものであると反対意見を述べることになります。

(これを詳しく書くと長くなりすぎますのでこれくらいにしておきます)

 

ギリシャ時代においては、美がイデアに近いものなのかどうなのかが問題となっていて、イデアに近い物のほうが、より本質に近く、そのため高尚で、価値があると考えられてきました。

 

美しくない「美」の存在

ギリシャ時代から現代におけるまで、さまざまな「美」につての考え方が哲学者、美学者などにより打ち出されてきました。

今、現在では「美」はどのように考えられているのでしょう?

 

一言でいえば、「美」とは何か?ということはもう議論されていません。
古典的な概念の「美」とそうではない「美」が世の中にはあるという考え方です。

そういう流れを作ったのは偉大なアーティストたちが行ってきた、革新的な表現方法のおかげでしょう。

古典的な綺麗な、心地よいものだけが「美」ではなく、一見醜く、不快なものの中にも「美」は存在すると考えられているのです。

そうなってきますと、古典的な「美」のほかのすべての物が「美」になりえるのです。こういう状況で「美」とは何か?について議論しても、「なんでも美になる」という結論になってしまいます。

 

現代のアートの世界では【どのような「美」がありうるのか?】を探求していると私は見てます。

固定された一つの理想の美にむかってアーティストが作品をつくったり、評論家が評価したりするのではなく、

誰も定義しなかった新しい「美」の定義を打ち出すために、作品をつくり、定義することが重要視されてきているのです。

 

なぜ、美はとらえどころがないのか?

まさに「美」はとらえどころがない。

ある意味なんでもありだけれども、すべてが「美」と評価されるわけではないからです。

「美」について考えを深めていくと、結局人間の概念を作り出している「言葉」にいきつくのです。

 

美と言葉。アートと哲学。

これらは真逆のことと考えられがちですが、実際は表裏一体なのです。

 

現代の哲学での「言葉とはどういう物か?」という考え方が、アートの世界の「美」の概念に影響を与えますし、逆にアート作品が哲学の概念に影響をあたえ言語化されることも沢山あるのです。

「美」があいまいなのは、人間の「言葉」があいまいだからです。

私たちは非常にあいまいで不備の多い「言葉」をなんの疑問もなく日常的につかっています。

他の記事にも書きましたが、「あいまいさ」を受け入れることが、「美」の理解にも必要なことなのです。

 

ここで気を付けたいのはここで言う「あいまいさ」とは、適当でいいという意味ではなく、どれほど厳密に規定しても、美や言葉はその性質上あいまいにならざるを得ないという意味です。

ですので、出来る限り「美」や「言葉」について考え、明確にするというスタンスは非常に大切です。

そういう、明確さへのこだわりが「美」や「言葉」の強度となり、人々に受け入れられるものとなりうるのです。

 

コーチングにおける美の追求

私はすべての物に「美」は必要だと考えていますので、私が創設したメタ・アーチングでもそれを追求しています。

それは、古典的な「美」の意味だけでなく、現代的な「美」においてもです。

ただ、心地よく、万人に好かれる美ではなく、一見、不快で目を背けたくなる美も含めます。

私がメタ・アーチングに美の概念を取り入れる理由は「美」を求めることが物事の質の強度を高めてくれるからです。

ですから、私はコーチングカウンセリング、人に物を教えるとき、人を導くときにも「美」が必要だと考えています。

 

あなたにとってコーチングやカウンセリング、人に物を教えるときの「美」とは何でしょう?

 

もし、それが明確に語れないのなら「美」、つまりそのものの強度は低いといえます。

 

コーチングやカウンセリングのやり方、思考法、判断力、感受性、表現力、すべてに「美」がやどっていなくてはいけません。

そのことが、クライアントに感動を与え、思考と行動の変革へと導くものとなりえるのです。



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