日本美術は昔は存在しなかった、と言えば皆さんは、「いや、日本には大変古い美術品がたくさんある。日本美術は昔、存在しなかったというのは、おかしい」とおっしゃるかたは多いと思います。
しかし、それは歴史というものや言葉の仕組みにまだ気が付いていないだけです。
目次
美術という言葉は日本にはなかった
日本は明治維新後、海外からあらゆるものを吸収しようとしていました。
芸術もその一つです。
ヨーロッパにおいて、美術品の収集は富と権力の象徴でした。
ヨーロッパの大国に肩を並べるために、日本政府が日本の文化力をヨーロッパに劣らぬものにするため芸術を学ぼうと様々な書物を日本語に訳していきます。
現在では海外で使われていて日本に存在しない言葉は、カタカナ表記することが多いです。
例えば、グローバル、インフレ、セミナーなど。英語の読みをそのままカタカナで表しています。
しかし、明治政府や翻訳をつかさどった人たちはそういうことはしませんでした。
出来る限り海外の言葉の意味を漢字の意味にたくして訳そうとしました。
「美術」「芸術」という言葉もその一つです。
そう、明治時代に今のアートにつながる言葉として、日本で作られ、使用されたのです。
つまり、それまでの日本には日本美術という概念はなかったのです。
はじめて美術という言葉を使った人は
幕末から明治にかけて活躍した西周(にし あまね)という人物がいて、彼はオランダに留学後、西洋哲学の翻訳・紹介等をし哲学の基礎を築きました。
西は liberal arts を「芸術」、fine arts を「美術」と訳します。
fine artsとは本来、形ある物体を創り出す造形芸術の意味でしたが、西はそこに音楽、舞踏、演劇を含むべきだと言っています。
ですので、最初芸術と美術という言葉にはそれほど意味合いは変わりませんでした。
その後、「美術」という言葉が西洋関係の本で沢山使われて、普及していきます。
明治30年後半ごろになると、芸術の中に、美術があるという位置づけになってきます。
(liberal artsとfine artsの話はまた別の機会に書きたいと思います。この辺りを読み解くと、人間の言葉と概念の複雑さが見えてきます)
日本美術の定義のしなおし
それまでの日本には「美術」という言葉はありませんでした。
確かに、多くのすぐれた書画は存在しましたが、それは「美術」という西洋における概念の文脈において、位置づけられたことは一度も無かったのです。
江戸時代まで日本では西洋の学問体系は公には採用されていませんでした。
西洋に、日本にも素晴らしい美術作品があるということを証明するには、まず西洋の学問の体系を受け入れ、そこにマッチさせないとそれは認められません。
そうして、研究者は西洋の学問のシステムや文脈を使い、日本美術というものを再構築し、定義しなおしたのです。
そうして、日本美術は西洋における美術と対比させることができる立場にようやく立ったわけです。
美術という言葉があらわれてから、日本美術とはなんだろうという、概念の定義が作られていったのです。
日本美術は西洋の学問があってのもの
上記に書いたようなことから、何が解るでしょう?
それは、比べるためには基準が必要であり、その基準は現代においては、ほとんど西洋のアカデミズムが牛耳っているということです。
そのことを人は意識すらしていません。
日本美術は素晴らしい!日本美術は西洋の美術よりも抽象度が高い!と主張し、日本の美術や美意識が西洋の物に負けない!と主張しても弱いです。
北斎の「神奈川沖浪裏」を素晴らしい!!ということは世界の人も納得するでしょう。
しかしそれは、西洋の文脈に当てはめても素晴らしいということです。
日本の書画や文化表現の文脈に西洋の絵画の歴史をあてはめて、北斎と同時代のターナーの絵を分析しても誰も納得しません。
なぜなら、美の概念やそれを主張する学問的な文脈はすべて西洋のアカデミズムの上に成り立っているからです。
けっして、その外側からの手続きが踏まれない主張は受け入れられません。それは個人的な意見でしかなく、アカデミズムに反映されることはありません。
日本人は日本美術を研究することで日本の特異性を主張しようとしていながら、じつは西洋のアカデミズムの中の存在であることを強固にしているのです。
それほど、芸術や美術という言葉はあまりにも私たちに深く入り込んでいるのです。
スタンダードには概念の言語化が必須
東洋には東洋の書画や詩(漢詩や和歌)を中心とした、それらに卓越した人たちの「共通意識」や「主張」があったはずですが、それらは西洋の芸術のようには、体系づけて研究はされませんでした。
日本は昔から、大陸の文化を受け入れることには熱心でしたが、日本の独自の思考システムを体系づけて、スタンダードにしようという考えはなかったのだと思います。
そういった、「概念の言語化」によって、新しい体系を作ることが日本人は苦手なように思います。
日本には禅などの思想体系は出来ましたが、禅は実際は言語化を否定しています。
しかし、禅が世界に広がったのは、それを言語化し紹介したのが始まりです。
西洋の文脈では言語化されないものはなかなか価値は認められません。
現代でも日本人は言語化が苦手だと言われていますが、西洋のアカデミズムの源流の哲学を基本的な教養として学んでいないからだと私は考えます。
日本独自の文化にはそういうものがないなら、今世界を牛耳っているアカデミズムにおいて「概念の言語化」で最高地点をいく哲学を、ビジネスやコーチングにとりいれるのが一番良いと思います。
今では電気自動車でも、クリーンエネルギーでも、世界のスタンダードとならなければ、どれほど素晴らしい技術で物を作っても、負けてしまうことは明らかになってきています。
実用的でないと思われる哲学ですが、よく見てみると、いま世界のスタンダードとなっている経済や政治や文化の文脈や定義に哲学の「考える手法」がいかされていることが分かります。
誰にも全体像は分らない、そのことを受け入れる
それでは、私たちはどうすべきなのでしょう?
まず、自分の立ち位置を高い抽象度で客観視することです。
- 今私が学んでいるものは、どのような体系の上に成り立っているのか?
- 誰かの思惑によって隠された文脈は無いのか?
- この言葉の意味はいつ創り出されたのか?など
まず、自分の立ち位置を把握しなくては、対策など立てることは出来ないからです。
小さなカテゴリー(日本美術)とは何か?に目を向けるのではなく、それを包括する大きな流れ(西洋のアカデミズムの構造)に目をむけることで、小さなカテゴリー(日本美術)の意味合いも変化するのです。
例えば、いくらノウハウを学んでもあまり意味はありません。
ノウハウなどはあまりにも小さなカテゴリーです。
そんなものは大きな流れ、文脈が変われば、一挙に意味を失うものです。
そういう物ばかりに目を向けていると、数年単位でみれば、大きな流れからそれてしまったり、遅れてしまったりするものです。
しかし、すべてに当てはまるノウハウなどありません。いつでも絶対に正しい方法など本当はありません。
かと言って、その大きな文脈の本当の正体や全体像は誰にも知ることは出来ません。
しかし、安易に誰かが作り上げたノウハウに逃げることなく、自分でその現実に向い合って行くしかない。
大きな文脈の全体像は見えないながら、しかし、その存在を意識して、その中で自分で決断していくしかありません。誰もあなたの決断を肩代わりしてくれる人はいないのです。
身も蓋もないことですが、
生きていくってそういうことだ
ビジネスをすることはそういうことだと、覚悟をもつしかないのです。
参考文献:美術辞典 佐々木健一著 東京大学出版