虚業とは何か?というのは本当に何とでも言いようがあるように思います。
すべてのビジネスが虚業であるともいえるし、虚業でないともいえると思います。
詐欺案件はビジネスというより、犯罪ですから、それは論外ですが、
「詐欺めいた仕事」という意味で「虚業だ!」と言っても、それは言っている人たちの主観で、自分にとって臨場感が低いビジネスを虚業とレッテル貼りしていることもあると思います。
また、物など実体を作っているのは虚業ではないと言えるか?
確かに商品は実在しますし、それは夢幻ではないですから、「虚」ではないですが、ハイブランドやアート作品などは
そのモノの材料の価値以上に、「虚」といえる作り上げられた付加価値があるようにみせて売るわけです。
買うほうも「虚」のほうに価値を見出して買うわけです。
このように商品が実在するとかしないとかに限らず、「虚」の要素はどのビジネスにもかかわりがあると考えます。
逆に「虚」の割合がとことん低い商品は利益率が低いです。「虚」の部分が利益を生みます。それは、人間の欲望を刺激しやすいからです。
それに人は本当は「虚業」のほうが好きなんだと思います。
「虚」の無い商品は重要で、必要不可欠ではあるけれど面白くない。
小麦だけよりも、綺麗にデコレーションされておいしいケーキのほうがみんな好きです。
文化や教養なんか、「虚」の最たるものですが、それらが全くない世界は本当に単純でつまらない。人間に予感する能力、イメージする力があるかぎりは、虚業の拡大は止まらないと思います。
しかし、一般的に「虚業」というと悪いイメージで語られるのには、妬み、ルサンチマンや、お金を稼ぐことへの罪悪感などが張り付いていているのではないでしょうか。
なので口では「虚業」をディスりながら、エンタメ好きなんてことがあるんだと思います。
では、私は「虚業」を売り続けるのか?
と言えば、「実業」を売りたいし、今後は世の中は「実業」のほうが重要になると思います。
それは、現在があまりにも「虚業」の割合が増えて、その揺り戻しが来るのではないかと考えているからです。
実際、コロナ渦でエッセンシャルワーカーの重要性や現在ある小麦の世界的供給不足をなど、
「虚業」を支える「実業」の重要性が再認識され、その価値を守らないと「虚業」もままならなくなる時代になるのではないかと考えます。
ただ、その場合の実業とは今までのルサンチマンや無味乾燥な「実業」ではなく、「虚業をまとわせた実業」なのではないかと思います。
そういう意味で哲学や美学をビジネスに落とし込むというのは理にかなっているのではないかと考えています。