コーチングは意味がない、と言われる理由

私は既存のコーチングの手法に疑問を持ち、サイトで発信していますが、コーチングという「人の目標達成のために、外部から客観的な広い視点でアドバイスやサポートをする仕事」というものは必要だと考えています。

問題はコーチやクライアントの「コーチングとは何か?」という根本なとらえ方の問題だと私は考えています。

コーチングが意味がないと言われる理由

クライアントの思考に引きずられる

従来のコーチングを行う人はクライアントに寄り添いすぎる面があります。コーチングはカウンセリングの手法を多く取り入れていますので、どうしても通常の状態よりも弱っている人を想定したメソッドになっています。

なので相手に寄り添うことのメリットについては十分になされているのですが、そのデメリットについてはあまり意識されていません。

相手に寄り添う、相手を否定しないというのは、別の見方をすれば、クライアントが持っている思考の枠から抜け出せないということです。

人間は自分が信じていることを否定されたり、疑問を投げかけたりすることを心地よくは感じません。相手に寄り添いすぎるとクライアントが嫌なことを避ける結果となります。クライアントの意思を尊重しすぎると、結局、意味のない目標設定をし、それを達成して自己満足するということが起こります。

クライアントの思考法を変えないで表面的な対処法を目標に設定したところで、根本原因は無くなることはありません。

コーチのクライアントの思考の限界に気づけない

もう一つ、コーチがクライアントの抱える問題を高い視点でとらえ、分析できないからです。

例えれば、道に迷ってジャングルをさ迷う人に、磁石と地図を持って「あなたが行きたがってる場所はこっちだから、明日までに西に3キロ歩きましょう!」というのが従来のコーチングです。

高い視点の分析とは、「あなたがジャングルだと思っているこの森は植物園の中の温室なんですよ、さっさと温室から出ましょう!」と言えることです。

コーチとクライアントが同じような高さの視点でいると、互いに目標達成できた!と思っていても、実際には思考の枠の外には出ていけていない場合が多いのです。

外部からの視点の必要性

 目標設定より重要なこと

コーチングに頼らずに、自分で視点を上げることが出来ればコーチングなんか必要ないと思われるかもしれません。

しかし、私はコーチングの最大の利点は、目標達成ではなく、自分が持たない高い視点をコーチを通して知ることが出来る点だと考えています。

それが出来て初めて本当に必要な目標設定とその達成が可能になります。
本当は目標設定や達成は自分で十分に出来ることです。

私が行っているメタ・アーチングでは、一対一のセッションよりまえに、アートや哲学などの高抽象の学問ではどのように世界をとらえようとしているのかを理解していただきます。

なぜなら、ある程度理解していただかないと、セッションをしたとしても私が話している内容や意味が理解出来ないからです。

従来のコーチングではいきなりセッションに入りますが、私はそれではクライアントの思考レベルに引きずられて、質の良いコーチングは出来ないと考えています。

コーチンングの意味は答えを出すことではない

クライアントの方は様々な悩みや目標をお持ちです。どうしてもすぐに解決したい、目標達成したいと焦ります。

そうすると、「どうすればいいんですか?」「早く解決するには?」とすぐに出来るノウハウや手法を欲しがります。

ノウハウや手法は知っているに越したことは無いですが、そういう物の数は無限にありますし、時代の変化が激しい現代だと3年もすると状況が一変することもしばしああります。

そのたびに新しいノウハウを手に入れることを目標に設定すると、ノウハウを覚えることにばかり時間をとられ、それを活かせない。

もっと本質的なことを考える時間も余裕もなくなるのです。

まさに、奴隷状態です。奴隷には物を考えさせないのが一番なのです。

コーチングの場合、講師やコンサルタントとは違い、ノウハウを要求されることは少ないとは思いますが、だからこそ、手っ取り早く成果を出すことも難しく、コーチングなんか必要ないんじゃない?ということになるのでしょう。

コーチングが必要か、必要でないか?という問題は、

ノウハウが一番大切か?それを生み出す思考が大切か?

という、考えかたの選択にあるのだと私は考えます。

ノウハウは手っ取り早いが・・・

ノウハウが一番大切なら、ノウハウを教えてくれる人にそれを習い、そのノウハウを正確に再現できることを学べばいいのです。

ブログの書き方、リラックスする方法、Kindle本の出し方、質のいい睡眠のとり方など、その方法を教えてくれる情報や人は山ほどいます。

それこそ、情報は溢れています。

しかし、私は人生においてはノウハウにはそれほど価値はないと考えています。

ノウハウとは、決まりきった方式が通用するときには有効です。

例えば「ここのボタンを押したら設定できますよ。」というのは、誰がいつやっても、その人のスキルやレベル、理解力に左右されずその行動ができれば、同じ結果になりますよという物には有効です。

でも、人生で起こることのほとんどがそれほど単純ではありません。

世の中で起こることは統計や確率ですべて予想できるかのように言う人がいますが、それは嘘です。

AIがビックデータを使っても無理です。

なぜなら、ビックデータというのは過去に起こったことのデータを集めたものです。

つまり、今までに起こったことのないことが起これば予想不可能なのです。

そもそも、アマゾンやFaceBookなら別ですが、個人がビックデータなどもてるはずもありません。ビックデータから導き出されたものをどう判断するかは人間です。

当たり前の話なんですが、人間は一人一人状況も能力もちがうのですから、数えきれない要素が入り混じる人生やビジネスでマニュアルが通じる箇所は部分的なのです。

電気製品の取扱い説明書とはわけが違うのですが、人は安心が欲しいためにそういう物を欲しがるのです。

マニュアルは自分で創り出せ

マニュアルは手っ取り早く、成果がすぐに出そうなので、イイでしょうけど、長期的に見れば、マニュアルを買い続けている人は、いつまでたってもマニュアルを作る人にはなれません。

マニュアルとは対処療法と同じです。
虫歯が痛いから痛み止めを飲めば、痛みからは解放されますが、虫歯が治るわけではないのと同じです。

マニュアルをどのように作るのか?
どうしてこのマニュアルが必要なのか?
マニュアルの限界は?

などを知らない人が作れるはずがありません。

あなたは自分の人生を人が作ったマニュアルでいつまでやって行くつもりですか?

人が作ったマニュアルを買い求めているだけでは、楽かもしれませんが、結局どこかで自由を奪われて、いいように搾取されているだけなのです。

マニュアルではなく、知識や技術を自分の一部として使いこなせるようすることが最も重要です。

使いこなすには、その知識や技術以上の視点が必須となります。

私はその視点がリベラルアーツであるアートや哲学であると考えていますし、それを人に伝えていこうと考えています。

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