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はじめまして。美学と哲学を活用して人生や仕事を根底から変革することをお手伝いしている石橋ゆかりです。

この動画にあるように、「美」や「キレイ」はよく使われる言葉なのに「それは何?」とあらためて聞かれると答えられないことが多いのです。

「美」のお仕事をしている方でもなかなか答えることができないものです。

 

しかし、そんな「美」をめぐって、世界中で巨額のお金が動いて、人は喜んだり泣いたりしています。

不思議ですね。
「美」って何なのでしょう?

 

そんな「美」について、これから少しお話ししますね。

じつは、

「美」というのは汚れてしまっています。

「美」は時に欲望、快楽、お金、自意識、影響力などを背景に持ちながら使われます。

そういう事が長年続くことで、美の意味はどんどんと汚され、今ではその本質が見えなくなってきているのです。

こうした中で「美」という言葉は色んな解釈を生み出し増え続けています。

 

多様性の価値観が広まる社会ではますます加速していくでしょう。

「美」の解釈が増えれば増えるほど、それにまつわる欲望が芽生え、そして、ビジネスや商品が生まれます。

 

つまり、美の解釈をコントロールできる人が世の中やビジネスの多くを支配しているのです。

それは、美容、ファッション、アートといったものだけでなく、学問、宗教、工業製品、エンターテーメント、コンテンツ制作などもです。

あなたがクリエーターでなくても、美の解釈をコントロールできれば、美のパワーを活用できます。

「美」=見た目、形ではない

 

「美」には色んな側面があります。

「善の美(美徳)」
「芸術的な美」
「価値意識の美」    
「感性の美」
「自然の美」
「調和の美」
「完全性の美」
「光の美」

 

生き方、価値観、センス、自然科学、数学、宗教など

あらゆるジャンルに関係があります。
目に見えるものが美という訳ではないのです。

 

あなたはこんな風に考えているかもしれませんね。

「『美』は人それぞれの感じ方なのだから、決めつけられないよ」と。

たしかに、「美」をどのようにとらえるかは個人の自由です。誰からも強要されるものでもありません。

しかし、それだけでは随分つまらないと思うのです。

 

例えば
「この料理が美味しいと思うかどうかは、人それぞれだ。」
といっても、

世界中で料理コンテストがあり、どこの店の料理が美味しいか?をみんな非常に関心を持っています。

人それぞれでよいなら、そんなことをする必要性もないのに、何故なのでしょう?

それは料理には「ある基準が存在する」とみんなが思っているからです。

それは、主に料理に関わる様々なプロフェッショナルのかかわりの中で形成されます。

 

だからこそ、より美味しい料理を求めて、料理人は腕を磨き、先人を超えようとし、切磋琢磨するのです。

それを味わう人たちの舌も肥え、料理に求める水準も高まります。

 

それは「美」の世界でも同じで、自分の好き勝手に感じてもいいけど、

美にも基準は存在します。

 

私が言いたいのは

太古の昔から現代まで世界中で探究されてきている「美」の世界を体験し、そのパワーを活用しませんか?ということです。

 

これはなかなか経験しないと分かって頂けない事ですが、

高い次元での「美」を感じるためには、

その次元に立つための「知の構造」が自分の中に無くては不可能です。

 

「美」についての本質が理解できるだけの「知の構造」があれば、

「美」をより多く発見することができますし、それを味わう感度は格段に上がります。

「美」は特別な場所や物にだけ存在するのではありません。

それを見つけることができるかどうかは、その人の「美」を見いだすことができる能力にかかっています。

 

私の体験ですが、

絵画や自然や人々の営みの中にある「美」を見つけたとき、その純粋な輝きに、全身に鳥肌が立ち、涙してしまう瞬間があります。

それは、ひそやかなものですが、人が生きていることの実感と、先人達の美に対する崇高な信念に感動し、呆然とするしかないものです。

それは、「美」について学べば学ぶほど強まっています。

 

そういった「見る目」は良質な知識と経験でつちかわれていきます。

このように「知の構造」を自分の中に作り上げることによって、はじめて理解し、感じることができる美の世界があります。

 

「考えるな!感じろ!」は間違い

 

感性を高めるためには論理的な思考は邪魔になる、というような考え方があります。

しかし、それは間違いです。

 

現代哲学を学べば明らかなのですが、人間は言葉を介してしか、世界を把握することはできません。

確かに、言葉をつくしても言い表せないことはあります。

しかし、それは「言葉が存在するから『言葉に出来ないものがある』ということが理解できる」のです。

私たちに言葉がなければ、「存在があるか、ないか」すら考えることができません。

考えるという行為には言葉が必須だからです。

 

言葉がなければ私たちは感じることも出来なくなります。

私たちが今感じている感覚、「うれしい」「怖い」「悲しい」という感情はこのように言葉で分類され、赤ん坊のころから親や社会のなかでその言葉の使い方を習得しているからできることです。

確かに、熱いものを触ったら身体への刺激としてそれを感じますが、それはただの混沌とした刺激でしかありません。

言葉があるから「熱い」という分類に区別することができるのです。

言葉がなければこの刺激を「熱い」「冷たい」「痛い」などに分類しようがありません。ただ、刺激にびっくりしておののくだけです。

 

単純な刺激ですらそうなのですから複雑な感情や美的感覚は言葉なしには成立しません。

人間の社会、文化、歴史は言葉を土台にして作りあげられています。

そして、そのような私たちを取り巻く環境=言葉の集積が私たちの感性を作り上げているのです。

言葉によって、「美とは何か?」「感じるとは何か?」を何十年、いや、ギリシャ時代の哲学者から数えれば2000年以上人間が考え続けてきました。

そいった先人たちの考察をふまえたうえで、初めて「言葉に出来ない美や感性の領域がある」ということができます。

そういったことをせずに、自分の知識の無さを「感性」という言葉でごまかすのはもったいない話です。

 

普段、自分の頭で考えたり、深く物事を知ろうとしない人がいきなり「考えるな!感じろ!」ということを信じると間違えます。

 

このような状態では「すごく感動した!」といってもその感性は薄っぺらなものにしかなりません。

天才ではない私たちのような一般人はまずは「とことん考える」ということをすべきです。その先に深い感動があるのです。

 

「でも、考えれば考えるほど、頭でっかちになってしまうじゃないか!」

と言われるかもしれません。

しかし、それはあなたが「考える」ということを誤解しているからです。

 

「考える」というのはたくさん知識・情報を詰め込んで、新しい言葉を覚え、組み合わせて自分の考えにするというものではありません。

 

本当の意味での「考える」ということは知識(情報)を減らしていく作業です。

情報が増えれば増えるほど本当には自分で思考できなくなりますし、自分で考えることができない人は自分で感じることも出来ません。

最低限必要な言葉を使って、横軸に広げていくのではなく、深堀する、または俯瞰するという上下軸での行為が必要なのです。

「頭でっかち」というのは不必要な知識(言葉・情報)ばかりを収集してそれでメモリーばパンパンになってしまって動作が遅くなっているパソコンのような物です。

そんな状態で新しいことを受け入れる感性など働く余裕はありません。

 

必要最低限な質の良い知識(言葉)だけをコンパクトにフル活動させるから、新しい発想や感性が生み出されるのです。

 

思考が感性を鈍らせるのではありません。

思考とは言葉・情報の詰め込みであるという誤解が感性を鈍らせるのです。

 

感性を高め、良く思考するためには、最低限のもっとも質の良い知識(言葉)そして、「知の構造」が必要です。

 

哲学の究極は美学は

それは何から得られるのか?それは、

「美学」・「哲学」です。

一般的に使われているような、その人の価値観や生き方の美学ではありません。

「美学」とは哲学の一分野です。

日本の大学では芸術学とともに学べるようになっていることが多いため、

芸術的な美について研究することだけが美学だという誤解もあります。

本来は「芸術的な美」にとどまらず、もっと普遍的な「美」について考える学問なのです。

 

様々な価値観が飛び交い、多くの思惑と欲望に翻弄される今だからこそ、

あなたには「美」の本質について知っていただきたいと願っています。

なぜなら、

「美学」を学ぶということは、世界の構造の本質を知るということだから

どうしてなのか?

それは今の大学では「教養課程」は本当の教養ではないからです。

 

日本の「教養課程」は本当のリベラルアーツではない

 

日本では文系・理系という風に分けたりもします。日本では学問分野は人文科学(人文学)、社会科学、自然科学に分かれています。

 

しかし、現在様々に細分化された学問はもとをただせば、古代ギリシャ時代の哲学からはじまっています。

古代の哲学者が考えたことは「世界はどうなっているのか。なぜ、そうなるのか」を知りたいという欲求からでした。

 

そこには、文系・理系の区別もありません。

哲学者は分野に関係なく、自由な発想と方法で世界の探求をしました。

 

しかし、時代が進むにつれて学問が深まってくると研究対象も膨大になります。

人間とは?自然とは?社会とは?善とは?などあまりにもたくさん考えるべきことがあり、一人の哲学者は一生をかけても網羅することなどできなくなります。

より詳しく研究するために専門分野ごとに分業化されてきたのが今の大学などに代表されるアカデミズムの状況です。

 

しかし、専門分野ごとに研究されてきた弊害もでてきました。

いわば、研究しつくされてきて新しい発見が難しくなってきた、つまり、専門分野だけの視点では新しいイノベーションが起こせなくなってきているのです。

そうしたなかで、学問分野をこえて研究成果を共有し、学者が交流する「学際」ということが現在盛んにおこなわれています。

 

そうしたなかで、重要視されているのが「哲学」。

理由はすべての学問の上位概念を扱っているのが「哲学」だからです。

言語とは?人間とは?思考とは?権力とは?社会とは?ということを、専門分野で切り分けて考えるのではなく、世界全体、人間全体を包括的に研究し、その本質を暴いていくが哲学という学問です。

例えるなら、科学における基礎研究のようなものです。

科学技術を活用したスマートフォンのことは誰もが関心を持ちますが、電子部品の素材の基礎研究には一般には注目をあびません。

しかし、その基礎研究がなければどのメーカーのスマートフォンも作ることができない。哲学はすべての学問における基礎研究のようなもので、一般的にはその重要性は理解されていませんが、その存在はすべての学問の根底を支えています。

 

本来のリベラルアーツとはいろんな種類の学問の基礎を学ぶという意味ではなく、様々な学問をなりたたせている根本要素について包括的に学び、研究することなのです。

本来は非常に抽象度の高い思考が要求されるものなのです。

 

美のパワーと権力

 

世界の資本主義を支配しているグローバル企業、世界的な富豪や王族の多くはアートをコレクションし、美術館を設立し保有しています。

「美」は神聖で尊い存在であるからこそ、
世の権力者が、古代の時代から手に入れたいと望んできたものです。

それほど、「美」のパワーは計り知れないものなのです。

まだ、あなたには実感できないかもしれませんが、「美学」を学べば、あなたの人間関係の悩みやビジネスの問題も解消できます。

 

それは、「美学」という「感性」と「哲学」という「知」

この二つの正反対のものの最上位概念を知ることができます。この美学と哲学以上の上位概念は学問にはありません。

 

 

この世の中は上位概念が下位概念の意味をコントロールしているのです。

このように科学では網羅できない、人間、社会、感性、本性、権力といった世界の構造を知ることができるようになれば、あなたの人間関係やビジネスに影響をあたえることになるのは当然です。

 

確かに上位概念になればなるほど、抽象的でわかりづらいです。

しかし、だからこそ他の人がなかなか近づいてこれない分、自分が優位になれるのです。

 

押し付ける気もありませんので。「美」のパワーについてもっと知りたいと思われた方には、メールでのお便り「風雅の便り」でお伝えしています。

内容は「美学」とはどうゆうものなのか?どのようにして人生や仕事に活用しながら、自分の美的感度を高めていけるか?について動画教材とともにお伝えしていきます

お手紙を受け取りたい方は下記からご登録ください。私といっしょに「美と知」の広大な世界へ旅してまいりましょう。

■「風雅の便り」の内容

一通目「なぜなぜ、どうしての美」
~美学・哲学の立ち位置
二通目「花の色はうつりにけりな美容と美学」
~「生と死」の美の本質
三通名「花と月に美徳を載せて」
~生き方の美徳と貢献について
四通目「美は心ではなく、言葉で感じる」
~感性と言語システムの関係について
五通名「美学を人生や仕事を変える道具に変える」
~美学の実践について

 

 

 

追伸
なぜ、私がこのようなことをしているのか。

私は小さい頃から、「『美しい』って何だろう?」と考えてきました。生まれたのが京都で両親に連れられて、よく美術館や神社仏閣に行っていたせいかもしれません。

そんな私が今回このような活動を始めた理由は誰かが美やアートの本当の凄みをきちんと伝えなければ、と思ったからです。

 

実は私は数年前、「アートは世界の本質を伝えてくれますよ」ということを広めようとしていました。

しかし、表現にかかわる仕事をしてきて、長年一流の先生の授業を受けてきたとはいえ大学教授でもない、大学院で正式に学んだこともない私がこんなことを教えていいのだろうか?という思いがありました。

私もビジネスマンですから、他のコンテンツならそんなことは思わなかっただろうと思います。

しかし、「美」や「アート」は私にとって特別な存在なのです。

私は長年学び、経験していく中で芸術、文化が本当は儚いものであり、それが古代から現代まで奇跡的に途切れずに現代まで続き、私達が受け取ることができていることに気づかされました。

先人たちの「美」に対する真摯な態度にただ圧倒され、自分の小ささを思い知らされてきました。

リスペクトする気持ちがあまりに強く、
私などが「美」や「アート」にかかわるなど、とんでもない事柄だという気持ちがあります。

そのため、「美」や「アート」の本質を広めるには、私などよりも適任者がいるのではないかと思っていました。

 

そうこうしているうちに、「デザイン思考」「アート思考」「対話的鑑賞法」など、アートを現実に落とし込むコンテンツを販売する人や企業も現れ、それに大学の先生方も協力なさっているということを知り、「それなら、私が活動をしなくても、そういう人たちがきちんと伝えたほうがいい。

そのほうが習う人にとってもいいし。」と思いましたので、自分の考えを広める意義もないと思い、やめてしまいました。

 

しかし、残念なことに様々なアートコンテンツが、結局、「美」や「アート」の本質を伝えることよりも、「楽しく!誰でも簡単に!みんなに親しんでもらえるように!こんなに役立ちます!」というアピール満載で紹介されます。

「美」や「アート」商品化され、薄められ、拡散していきました。

 

私は本当に、心の底から失望しました。

 

「なんでこんなに素晴らしいものをそんな売り方で、そんなに中身を薄めて人に紹介できるんだ?」私にはこれは「美」や「アート」に対する裏切りのように思えました。

と同時に、真摯に研究に没頭されている先生方やアーティストに対する裏切りのようにも思えました。

 

でも多分、そういったアート関連商品を売っている方々に悪意はないのです。その価値をより多くの人たちに伝えたい!という熱意があって、このような形になっているのだと思います。

 

「美」や「アート」の研究者、専門家といえどもビジネスでは素人です。マーケティングのプロだ!という人から「こうしないと世の中に広まりませんよ。」と言われると、今まで効果のあった、手あかのついた「楽しい、簡単、すぐに」というマーケティングの打ち出し方で商品を売るしかないのだと思います。

それが、「美」や「アート」の本質とは真逆のことでも、一般に広めるには仕方がないと。

 

でも、そのようなことを放っておくと大人の事情や思惑でゆがめられた「美」や「アート」が、本当なのだと一般の人は誤解してしまいます。

「その程度のモノなのね。」と。

ビジネスはきれいごとだけではないことも、十分承知しています。しかし、この問題は個人的に好き勝手に消費して、汚して、あとは知らないという物でもないと思います。

こう思ってしまったら私はどうしたらいいか?

 

常々「文句ばっかり言って、何にもしないような生き方はしたくない。」と考え、もうこれは自分でやるしかないと決断しました。

 

やるからには、出来る限り「美」や「アート」の本質をゆがめたり、自分の都合のいいように作り変えたりしない、そう誓いました。

正直言って、分かってくれる人は少ないでしょう。難しそうだからと敬遠されることも想像できます。

 

でも、一人でも「美」や「アート」の本質について知りたいという方に、私の今までの知識や経験が役立つのなら、やる意味があると考えています。

 

私ごときが「美」や「アート」という人類の遺産に対してできることなど、塵(チリ)のようなものですが、知りたいという方がいる限り、全力でお伝えしていこうと思い、こうしてあなたにお話ししているというわけです。

 

幸い、私は「日本の人文知を守る」という理念のもと寄付活動・研究者支援・普及活動を行う「東京官学支援機構」の理事に就任することになりました

 

私たちの団体は大学に代表されるアカデミズムに貢献しますが、それに服従するわけではありません。

究極の目的として、国のために貢献することを重視していますので、アカデミズムに苦言やアドバイスができる立場を確保しています。

そのためにジャーナリズムの役割をにない、出版やデータベース構築を行い、アカデミズムと同様かそれ以上の最上位の情報にアクセスできる立場を確立していきます。

 

 

これにより、より正確で、高度な「美と知」に関する情報が手に入るようになりました。

おかげで人に伝える際も、自分の主観で「美」をねじまげる可能性もほぼ無くなります。

東京大学、東京芸術大学からも情報提供をいただいている団体ですので、日本における教育や文化への施策の情報も入ってきますので、日本独自の問題点も高い視点から皆様にお伝えすることができます。

 

このような日本の人文科学を支援する団体に所属していることで、巡り巡って私の故郷の京都や日本文化を支えることになるというのは、

私の大きなやりがいとなっています。

 

 

【プロフィール】

石橋ゆかり

​アートロジカル東京代表
東京官学支援機構理事

京都市内の3代続く京表具師の家に生まれる。同志社大学文学部美学及び芸術学専攻。その後中退し、東京国立能楽(三役)養成所に入所

6年間能楽太鼓方(金春流)の人間国宝の師匠の下で修業し、修了

​1995年サルサダンス教室を開校。のべ9000人以上にダンス指導(2022年現在)

​2015年対話型鑑賞ファシリテーター講座受講 (主催 認定NPO法人 芸術資源開発機構)

2016年4月からアートを使って思考力を高め人生やビジネスに役立てる「アートロジカル東京」設立

2019年アートスクール「美学校」に入校。2年間在籍

​2022年 東京官学支援機構 理事に就任

東京リベラルアーツクラブ(TLC)公認リベラルアーツプロモーター

​2022年よりアカデミズムに根差した”美と知”の普及活動を本格始動

「麗知塾」を開講

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麗知塾
https://metaart-biz.com/reitijyuku/

東京官学支援機構
https://three-thought.com/

東京リベラルアーツクラブ(TLC)
https://liberal-arts.tokyo/