想定外の時代には哲学・美学が必要 |
はじめまして。美学・哲学の思考法で人生や仕事をアップデートする「麗知塾」を主宰している石橋ゆかりです。
美学・哲学なんて実社会で役に立たない、机上の空論だ!と言われるかたも多いでしょうが、実際は机上の空論だからこそ、今の時代に必要とされていると言えます。
理由は、今までのデータや経験では判断しきれないことが、起こることが多くなっているからです。
未知のウイルス、想定外の自然災害、世界情勢など、未だかつてない状況に世界がなっている中で、私たち個人が今まで通りで生きていけるのか?ということを考えていかなくてはならなくなっています。
つまり誰も経験したことのないことを考える、つまり「机上の空論」をせざるを得ない時代が今だなのです。
そういった時代に一番必要なのが美学・哲学です。
実際にグーグルやアップルはビジネスで全く新しいイノベーションを起こすために専属哲学者を雇っています。
私が所属する東京官学支援機構では国公立大学や学を束ねる団体に寄付活動を行っています。そしての団体からは情報提供をいただいていますので、今後の日本のアカデミズムや教育の方向性が見えてきます。
東京大学は哲学を学問の分野を横断する学問として重要視しています。文科省も哲学の重要性と広い視野に立った教育の必要性を文書に記しています。
日本人は哲学を誤解している |
日本の大学では哲学は文学部の一分野に位置づけられていますが、本来は違います。
西洋の大学では
哲学はすべての学問全体を学問する「メタ学問」として位置づけられています。
つまり、個々の学問の前提となる事柄について疑問をなげかけ、深めていく学問なのです。
例えば、心理学なら「心」というものが存在する、自分というものが存在するということを前提として学問するわけですが、哲学では「心」「自分」「存在」ということは本当にそうなのか?ということから探求していくのです。
つまり、すべての学問分野の外側に立って、それを俯瞰してみる位置にあるわけです。
決して文学部の1分野ではありません。
「学問」のいうものの「探求したい」「学びたい」という視点そのものが哲学なわけですから、本当は学問をする人はすべて学んでおくべきものなのです。
実際にヨーロッパでは哲学を小学生のころから学んでいることが多く、国民の一般教養となっています。
想定外の時代を生きる私たちには物事を俯瞰する力が最も必要となります。
それがなければ、他人やマスコミの情報に流されて右往左往するしかありません。
科学の限界とは、帰納法の限界です |
未知のウイルス、近年にない自然災害、変化する世界情勢など、想定外のことが次々と起こっています。
私たちの世界は固定された価値観から、流動的な価値感へと移らざるを得なくなってきています。
「自分は今まで通りがいい。」と思っていても、世の中が変われば自分もそれに否応なく巻き込まれるのです。
想定外のことが多く起こると、科学の限界というものがあぶりだされてきます。
科学的手法とは実験や観察からえた多くのデータを分析して真実を導こうというものです。
これは「帰納法」という推論の方法です。
科学の限界とは「帰納法」の限界なのです。
つまり、想定外のこと未知のものに関しては真実味が薄れてしまうんです。
今回の未知のウイルスに対して、当初は科学者は明確なことを何も言えませんでした。それは科学者がダメなのではなく、データにもとづいて推論するのが科学者ですから、データがないものを推論しろというほうが可笑しいのです。
科学がダメだ!と失望するのではなく、私たち一般人が科学を未来を予想する預言者のように勘違いしていたのだと、反省すべき事柄なのです。
では、「帰納法」以外にどういった推論の方法があるのでしょう?
私たちは帰納法に乗っ取られている |
帰納法とは真逆の推論の方法は「演繹法」です。
これは数学・哲学が行っている推論の方法で、普遍的な前提から個別のものを導き出す方法です。これはデータが無くても、未知の物事にも当てはめて推論できます。
しかし、日本人のほとんどは帰納法のやり方しか用いません。それは、演繹的な推論の仕方をきちんと学んだことがないからです。
なので具体的なデータがない=信頼できない
しかし、それは帰納法的な思考でしかありません。
例えば数学というのも、実は人間が作り出した「机上の空論」つまり抽象的な概念です。
研究者は実際に宇宙の様子を実際に見ることが出来なくても数学の理論で宇宙の姿を明らかにしていくことが出来ます。「机上の空論」を先に行って、人間の技術が追いついたら観察して確認するというアプローチをします。
数学も演繹思考「机上の空論」の最たるものですが、この数学を私たちは日常生活で数字を頼りにしていますし、疑いようもない真実だとして生活しています。
それはたんに身近だから。私たちが日常的に数字を使っていて、自分の経験として具体的なものとして受け入れているだけであって、
数学や数自体は抽象概念=机上の空論でしかないのです。
一方、哲学も数学と同じ演繹的思考法なのですが、日本人は哲学で思考することをほとんどしたことがないので、現実味を感じられないだけなのです。帰納法以外の方法を想像することも出来なくなっています。
また、自分が理解しきれないために、演繹法を間違って帰納法的に解釈してしまっている人も多いです。
私のクライアント様の話ですが、
ビジネスで日本人の自分とアメリカ人はデータの話ばかりして、フランス人はデータが無くても『当たり前にこうなるでしょ!』主張していた。
今、哲学を知って、フランス人がどうして確信をもってそう言っていたのか理解できた。」
とおっしゃっていました。
自分と全く違う思考回路をする人のことを理解するのは難しいですが、それがあるという存在も知らないとなれば、分かり合うのは不可能だと思います。
今の時代、そして日本人が学ぶべき思考法は演繹的思考だと私は考えています。
科学の呪縛から逃れる美のパワー |
美学は哲学の一分野ですがより純粋な、世俗に交わらない事柄を探求しています。感性、芸術、美を統合した特に抽象度の高い領域です。
科学的な考え方が世の中を席巻する中、それを寄せ付けない「美」の概念があります。
「美」は時に人の生死を分かつパワーを持ちます。
今までの歴史をみれば、自分の信じること、美学に準じて命を捨てた人々がいたことでもわかります。科学的で、合理的ではない行動が、時には世界を動かすパワーになります。
美学とは、芸術や美しいものだけでなく、生き方や真理という意味合いもあります。
今までのお手本が役に立たない時代、どのように生きるのか、どのように考えるのか、つまり美しく生きるとはどういうことなのか一人一人に突き付けられているのです。
今流行りの現代アートでいえば、実は哲学を知らないと本当には理解できません。「なんか面白い!」「面白い!」という浅い鑑賞法で終わってしまします。
アートは自由に見ていいじゃない、というのも解りますが、それだけだとアートの凄さや奥深さを知ることが出来ないのでもったいないです。
自分で考え、決断できるための視座 |
科学は一般論は語ってくれますが、あなた個人はどうすべきかについては答えてくれません。
当たり前です。
あなたの過去の経験やデータは他人とは違いますし、未来は過去のデータで100%解かるものではありません。
しかし、私たちは決断し、生きていかなくてはいけません。
そう言ったときに、今まで活用してこなかった演繹的な思考法が全く新しい視座にあなたをたたせてくれるはずです。
哲学は答えを教えてくれる学問ではありません。
自分で答えを導き出すための道具です。
だからこそ、時代が変わっても、どんなものにも活用できるのです。
政治、ビジネス(セールス・マーケティング・コンテンツ制作など)、自己啓発、生き方、アート。あらゆるところに哲学の思想は入り込んでいます。
しかし、哲学のことを知らない人は、それらの中に哲学の思想が入り込んでいることに気づけません。
抽象概念の上にある抽象概念が本来の哲学だからです。
例えれば、隠し部屋を見つけて喜んでいたけど、本当はその奥にまだまだ隠し部屋があるのに気づけなかったといったところでしょうか。
ノウハウとは所詮他人がうまくいったデータを集めて作ったものですが、世の中にノウハウがあふれかえるとその価値は値崩れを起こし、陳腐化していきます。
そうなればそのノウハウはただ同然となりネットにあふれかえります。
情報は山のようにあるのに、自分はどうしていいか分からない。
これが現代人の悩みなのではないでしょうか?
それを今までの帰納法的な思考で下記決しようとすれば、新しい情報を探し続けるしかありません。探したところでどれが自分にとって正しいかは自分が決断するしかないのです。
その決断をするときに武器となるのが演繹法の「哲学・美学」です。
カルトや宗教ではなく、理性とそれに裏付けられた感性で、この混迷時代を生きていきましょう!
哲学・美学・アートについての学びを無料メルマガでお伝えしています。
この3つを包括的に分かりやすく伝えている人はほとんどいませんので、是非ご登録ください。
追伸
なぜ、私がこのようなことをしているのか。
私は小さい頃から、「『美しい』って何だろう?」と考えてきました。生まれたのが京都で両親に連れられて、よく美術館や神社仏閣に行っていたせいかもしれません。
そんな私が今回このような活動を始めた理由は誰かが美やアートの本当の凄みをきちんと伝えなければ、と思ったからです。
実は私は数年前、「アートは世界の本質を伝えてくれますよ」ということを広めようとしていました。
しかし、表現にかかわる仕事をしてきて、長年一流の先生の授業を受けてきたとはいえ大学教授でもない、大学院で正式に学んだこともない私がこんなことを教えていいのだろうか?という思いがありました。
私もビジネスマンですから、他のコンテンツならそんなことは思わなかっただろうと思います。
しかし、「美」や「アート」は私にとって特別な存在なのです。
私は長年学び、経験していく中で芸術、文化が本当は儚いものであり、それが古代から現代まで奇跡的に途切れずに現代まで続き、私達が受け取ることができていることに気づかされました。
先人たちの「美」に対する真摯な態度にただ圧倒され、自分の小ささを思い知らされてきました。
リスペクトする気持ちがあまりに強く、
私などが「美」や「アート」にかかわるなど、とんでもない事柄だという気持ちがあります。
そのため、「美」や「アート」の本質を広めるには、私などよりも適任者がいるのではないかと思っていました。
そうこうしているうちに、「デザイン思考」「アート思考」「対話的鑑賞法」など、アートを現実に落とし込むコンテンツを販売する人や企業も現れ、それに大学の先生方も協力なさっているということを知り、「それなら、私が活動をしなくても、そういう人たちがきちんと伝えたほうがいい。
そのほうが習う人にとってもいいし。」と思いましたので、自分の考えを広める意義もないと思い、やめてしまいました。
しかし、残念なことに様々なアートコンテンツが、結局、「美」や「アート」の本質を伝えることよりも、「楽しく!誰でも簡単に!みんなに親しんでもらえるように!こんなに役立ちます!」というアピール満載で紹介されます。
「美」や「アート」商品化され、薄められ、拡散していきました。
私は本当に、心の底から失望しました。
「なんでこんなに素晴らしいものをそんな売り方で、そんなに中身を薄めて人に紹介できるんだ?」私にはこれは「美」や「アート」に対する裏切りのように思えました。
と同時に、真摯に研究に没頭されている先生方やアーティストに対する裏切りのようにも思えました。
でも多分、そういったアート関連商品を売っている方々に悪意はないのです。その価値をより多くの人たちに伝えたい!という熱意があって、このような形になっているのだと思います。
「美」や「アート」の研究者、専門家といえどもビジネスでは素人です。マーケティングのプロだ!という人から「こうしないと世の中に広まりませんよ。」と言われると、今まで効果のあった、手あかのついた「楽しい、簡単、すぐに」というマーケティングの打ち出し方で商品を売るしかないのだと思います。
それが、「美」や「アート」の本質とは真逆のことでも、一般に広めるには仕方がないと。
でも、そのようなことを放っておくと大人の事情や思惑でゆがめられた「美」や「アート」が、本当なのだと一般の人は誤解してしまいます。
「その程度のモノなのね。」と。
ビジネスはきれいごとだけではないことも、十分承知しています。しかし、この問題は個人的に好き勝手に消費して、汚して、あとは知らないという物でもないと思います。
こう思ってしまったら私はどうしたらいいか?
常々「文句ばっかり言って、何にもしないような生き方はしたくない。」と考え、もうこれは自分でやるしかないと決断しました。
やるからには、出来る限り「美」や「アート」の本質をゆがめたり、自分の都合のいいように作り変えたりしない、そう誓いました。
正直言って、分かってくれる人は少ないでしょう。難しそうだからと敬遠されることも想像できます。
でも、一人でも「美」や「アート」の本質について知りたいという方に、私の今までの知識や経験が役立つのなら、やる意味があると考えています。
私ごときが「美」や「アート」という人類の遺産に対してできることなど、塵(チリ)のようなものですが、知りたいという方がいる限り、全力でお伝えしていこうと思い、こうしてあなたにお話ししているというわけです。
幸い、私は「日本の人文知を守る」という理念のもと寄付活動・研究者支援・普及活動を行う「東京官学支援機構」の理事に就任することになりました。
私たちの団体は大学に代表されるアカデミズムに貢献しますが、それに服従するわけではありません。
究極の目的として、国のために貢献することを重視していますので、アカデミズムに苦言やアドバイスができる立場を確保しています。
そのためにジャーナリズムの役割をにない、出版やデータベース構築を行い、アカデミズムと同様かそれ以上の最上位の情報にアクセスできる立場を確立していきます。
これにより、より正確で、高度な「美と知」に関する情報が手に入るようになりました。
おかげで人に伝える際も、自分の主観で「美」をねじまげる可能性もほぼ無くなります。
東京大学、東京芸術大学からも情報提供をいただいている団体ですので、日本における教育や文化への施策の情報も入ってきますので、日本独自の問題点も高い視点から皆様にお伝えすることができます。
このような日本の人文科学を支援する団体に所属していることで、巡り巡って私の故郷の京都や日本文化を支えることになるというのは、
私の大きなやりがいとなっています。
【プロフィール】
石橋ゆかり
アートロジカル東京代表
京都市内の3代続く京表具師の家に生まれる。同志社大学文学部美学及び芸術学専攻。その後中退し、東京国立能楽(三役)養成所に入所
6年間能楽太鼓方(金春流)の人間国宝の師匠の下で修業し、修了
1995年サルサダンス教室を開校。のべ9000人以上にダンス指導(2022年現在)
2015年対話型鑑賞ファシリテーター講座受講 (主催 認定NPO法人 芸術資源開発機構)
2016年4月からアートを使って思考力を高め人生やビジネスに役立てる「アートロジカル東京」設立
2019年アートスクール「美学校」に入校。2年間在籍
2022年 東京官学支援機構 理事に就任
2022年よりアカデミズムに根差した”美と知”の普及活動を本格始動
「麗知塾」を開講
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麗知塾
https://metaart-biz.com/reitijyuku/