光と時間のタイムカプセル~「光のメディア」展

2022/5/6

今日は東京都写真美術館「光のメディア」展を観に行きました。

現代はデジタルカメラ全盛ですが、この展覧会ではフィルムを現像した作品、カメラを使わない写真がほとんどで、写真の創成期の写真から現代の様々な表現が一堂に見ることができました。

(カメラを使わなくても写真は撮れるんですよ)

「光のメディア」という名前にふさわしく、光をどう固定化して作品にするかというバリエーションが見れます。

 

作家それぞれの表現が個性的で、写真の表現の多様性に圧倒される展覧会でした。

現像された写真をあまり知らない方に、特にお勧めします。

これを見るとフィルム写真の技術や代表的な表現方法をざっと見ることができますよ。

 

昔の写真の機材は今のものに比べれば機能的に劣りますが、表現という点でいえば変わらないなと改めて思いました。

写真機は道具でしかありません。

それを使ってどう表現するかは作家にかかっています。

くっきり、はっきり、鮮やかに撮れればいい写真というわけではありません。

SNSやインスタの写真とは違う価値観の写真もありますから。

現代は写真のイメージがオンライン上で見かけるようなものに固定されてしまっているように思います。

情報がたくさんあるかのように見えて、数だけはやたら多いけれどよく似たような表現ばかりに埋め尽くされているんです。写真だけの話ではなくて、私たちの思考も同じような状況ではないでしょうか?

今回の作品にもぼやけた感じがいい空気感をかもしだしていたり、野外の川に印画紙をしずめてカメラを使わずに月明で撮った写真など。

 

「今の技術ならこんなのデジタルでいくらでも再現できるよ。」といわれるかもしれませんが、私はそれはちょっと違うなと思います。

確かに、今回展示されている写真を見本にして、本物そっくりに作ろうとすればで可能でしょうが、

見本もない、何もないところから同じクオリティーの写真ができ上るとは思えません。

なぜなら、こういったフィルム写真は作者の緻密な計算があったうえで作り出されるものですが、最後の一さじには偶然性が付け加えられます。

 

同じ時間が二度と訪れないように、同じ光は二度と訪れません。
しかも、同じフィルムから現像される写真も、全く同じ光が当たることはありません。

(まったく同じようにプリントする職人技はありますが、当てられる光は同じものではありませんから)

 

 

そして、つまり写真には光だけでなく時間も封じ込められているのです。

デジタルのように全く同じものがいくつも複製されるというものではありません。

私たちはそのモノだけに感動するのではないです。

そこにこめられた、時間、場所、ヒストリーなどの記号にふれて、その相乗作用で感動がおとずれるのだと思います。

そういった記号を見落とさない感性は、写真鑑賞だけでなく、人を見る目やビジネスにも共通するものだと考えます。

最後にカタログに記載されていた写真家バーバラ・モーガンの言葉を抜粋しておきます。

 

この限りない潜在性と解放のなかから、可視化するにあたいするのは何だろうか?

どのようにして一個の写真家は、目を、レンズをもって・・・

<ひとつの形態>・・・<ひとつの限定された瞬間>を選んで切り開くのか・・・

・・・そして内なる意味の振動から・・・雄弁、尊厳、連続性と完全性を用いて、その選んだ形態を圧縮して引き出してくるのか?

これこそが、写真という私たちの媒体(メディウム)に生きて働く前提にして挑戦なのだ。”

TOPコレクション 光のメディア 展覧会カタログより引用
(翻訳:日高優)



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