中世の宗教はグローバル企業と似ている

 

今まで中世の絵画にはあまり興味を引かれませんでしたが、哲学と宗教を絡めてみていくと俄然、面白くなることがわかりました。

中世の絵画はたいていキリスト教がらみで、題材にバラエティーがなくて、平板で、ドラマチックじゃないように見えるので、キリスト教徒でもなく、宗教に興味のない私としてはスルーしてしまってました。

 

でも、芸大の先生の話聞いて、「なるほど!」思いそれから絵をみると、哲学や宗教とのアートの関わりが今までとは違う形で浮かび上がってきました。

自分で勉強するのも大切ですが、どうしても興味がないことを積極的に調べたりすることがなくなりますが、信頼の置ける方の一言で、物の見方が大きく変わり、今までとは違う発見ができることがあります。

 

中世絵画やその周辺の哲学や宗教をみればみるほど、宗教はグローバル企業に似ているなと思います。

キリスト教で言えば、もともとのユダヤ教からみれば、異端あつかいをされていたのが、徐々に広まり、一時期は国王よりも権力をもつようになります。

そうすると、自分たちの宗教の正当性を明確にするために、異端者を排除、弾圧していくようになります。

その時に活用されたのが、哲学であり、アートだったんですね。

 

つまり、キリスト教の布教、言い換えれば信者を増やすためのマーケティングに哲学やアートを買うようしていたことがハッキリわかります。

 

現在でも、ルイ・ヴィトンやエルメスがブランドイメージのアップと投資目的でアートの収集に力を入れています。

アートは言葉通じない外国の人たちにも同じ感動を与えることができます。アートのグローバルな性質はよく言われることですが、中世のころと同じで、言葉の通じない、あまり教育を受けていないひとにでも分かりやすくするためにアートは活用されてきました。

一方、哲学は宗教の正当性を強化するために活用されます。

ギリシャ哲学の思想をもちだして、キリスト教が「本物である!正しい!」という理由を強めるためにつかわれました。もちろん、対外的にはそのようには言わなかったでしょうが。

宗教にとって信者獲得が重要な使命となるのですから、方法論としては、いまの顧客獲得とあまり違いはないように思います。

では、現代において哲学はグローバル企業でどのように使われているのでしょうか?

それは、アートのようには、なかなか表立っては見えてきません。

しかし、アートよりももっと深いところに組み込まれていることは確かです。

なぜなら、経営者のトップがさまざまな判断をし、考える時に、その思考法の原型が哲学だからです。

例えば、理想や知という概念やその探求の仕方、現象を観察し実験して世界の仕組みを明らかにしようという考え方はギリシャ哲学から存在しますし、それが今の学問の基本となっています。

哲学にはさまざまな思想が時代によって立ち現われてきますが、抽象的な事柄を探求するという意味では変わりません。

ビジネスは一見、現実的な事柄ばかりを追求すれば利益を上げるという目的は達成出来るような気にもなりますが、よく考えれば、利益、お金、利子と言うのも本当は人間が作り出した思想の一つでなのです。

アマゾンのCEOのジェフ・ベゾス氏の話で印象的だったのが、アマゾンの会議では出席者は必ず作成に1週間はかかるであろう長文のメモを用意しなくてはいけない、それを会議前に全員で熟読するのだそうです。

なぜ、そのような手間のかかることをするのか?その理由は「主題、文章、動詞がしっかりと使われた物語のような構成になっている。箇条書きだけのメモではない。議論のための、コンテキスト(文脈)を作り出すためのメモだ」と言っています。

アマゾンではどの部署にいようとも、文章を書き、読めることが最低限必要なんだそうです。

つまり、言葉によって人を納得させることのできる論理的な文章が書けて、読める思考力が必要とされているということです。

ベゾス氏がコンテキスト(文脈)という言葉を使っているのは、全体的な論理の流れを理解していないと、そので語られる言葉や方法論について議論しても意味がないと知っているということです。

こういう話を聞くと、哲学的な思考法が意識的か無意識的か(十中八九、意識的だと思われますが。西洋の教育では、哲学は学問の基本であるという認識が一般的だからです)入っていることが哲学を取り入れているとわかってきます。

無意識だとしても、私たちは大学などで学んだことがあれば、もう西洋哲学の影響から逃れて考えることはもうできないのです。

ですから、アマゾンの真似をしてこのような会議をにわかに行ったとしてもうまくはいかないでしょう。

なぜなら、文脈という概念や論理的に語るということの背景にはどういう意図があり、なぜ必要なのかを全員が理解できていないと、ただの手間のかかる会議でしかなくなるでしょう。

宗教をグローバル企業と捉えると、中世のころのアートや哲学との関わり方がとても現実のこととしてリアルに考えることができます。

現代のアートや哲学は宗教やグローバル企業の思惑のなかに飼い慣らされるようなものではありませんし、もっと広く高い地点の思考をしていますが、宗教やグローバル企業のそういうものをなんでも使うしたたかさと視点の高さには興味や面白みを感じます。

他にも、アート、哲学、宗教の関わりを見ていくと、今の世の中がどうしてこんな風になりたって、関係しあっているのかが解ります。

それは、細分化された学問の視点からだけではわからない点だと思います。

私はビジネスマンですので、ビジネスや人を成長を助ける思考法と絡めて考えるので、また違った見方になるのでしょうね。



美学・哲学・アートに関するメルマガを配信しています