コーチングの「素材」の質を変えて、イノベーションを起こす

一般的には素材によって何を作り出せるかが、おおよそ決まっています。

橋を作るのに発砲スチロールを使わないし、フライパンを木で作ったりしません。
その素材の特性を生かして、物を作るというのが常識です。

しかし、別の見方をすると素材を変えれば、全く別の新しいものを創り出すことが可能になります。

建築家 隈研吾に見る、素材の変身ぶり

さまざまな素材で建築の構造を支える
建築家は実に様々な素材で建物を設計しようとしますが、しかし、安全基準を満たしていないといけません。

そこで、様々な工夫や業者の技術革新があるわけです。

先日、行った展覧会「くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質」で建築家、隈研吾さんの建築を素材をテーマにしていました。

展覧会「くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質」

 

東京オリンピック、国立競技場の模型。

 

隈研吾さんは様々な素材を建築の構造を支える素材として使っています。竹、木、紙、ガラス、土、金属など。

 

木の素材。展覧会「くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質」

 

強化された紙での構造物。展覧会「くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質」

 

しかし、本来は建物の構造を支えるだけの強度が無いもの、竹や紙などもあるわけです。

そこで、隈研吾さんは竹の中にコンクリートを流し込んで強度を高めたり、紙を樹脂でコーティングして強度を増したりします。

そうすることで、今まで使えなかった素材を建物に使用することができ、新しい表現も可能になります。

 

基本となる素材を変えると、形が同じでも、建物、印象、建物から見える風景も全く変わります。

この竹で出来た建物(Commune by the Great Wallのヴィラ、隈研吾設計)が同じ作りでコンクリートだったり、金属だったら、全然違ったものになるでしょう。

この建物は中国に建てられています。中国を代表する植物の一つは竹です。それを使用することで、中国の風土や歴史を見た人に印象づけ、竹の隙間からみえる風景が、建物の中にいながら外を感じさせる、一体感を作り出しています。

 

 

建築家やアーティストにとって、素材(マテリアル)は非常に大切です。

素材(マテリアル)はアーティストの思考、技術、感性を乗せる舟のような存在なのです。ピッタリの素材に出会うとアーティストの才能が目に見えて花開くことはよくあります。

 

コーチングにおける素材とは

では、建築ではなくコーチングにおける素材とはなんでしょう?

それは、言葉です。

 

言葉には辞書に書かれているような意味とその時代や状況によって変わる意味があります。

 

簡単な例で言えば、「太る」という言葉の意味は「 からだに肉や脂肪が厚くつく。太くなる。」と辞書に書かれています。

しかし、それだけではなく現代の私たちだと、健康に悪いとか、自己管理できてないとかマイナスイメージで語ることが多いですが、カロリーの高い食品を気楽に手に入れることが出来ない時代や国では「豊かさ、健康」というイメージを抱きます。

 

他にも、もっと根本的な言葉の構造上の問題で、私たちは様々な事柄を誤解してしまっていますが、そのことに気づけません。

 

ですから、コーチは辞書にある言葉の意味以外の、その人のいる世界の文脈=その人が育った環境、その時代の思想、その人が信じている思想の成り立ちを分析する必要がありますし、

 

コーチがコーチングの技術や心理学だけを学んでいては、狭い世界観だけにとどまってしまうと私は考えます。

 

もっと、人間とは?世界とは?という上位概念を幅広く分析するリベラルアーツ(哲学、アート、歴史、文学など)を知る必要があります。
心理学は多くの学問の一分野にすぎません。

 

その心理学だけで人間の全体像を見ていこうというのは、無理があります。

 

素材=言葉を根本から見直す

コーチは言葉を使って、人をサポートしたり、導く仕事です。

ただ、建築やアート作品とは違い、言葉の意味は見ることだ出来ません。

 

ですから、同じ言葉を使っていると同じ意味であるかのように勘違いしてしまうことがしばしばあります。

 

今までのコーチングでも言葉の意味合いを変えてコーチングをするということは行われていますが、その意味合いの変え方が安易なのです。

同じ事柄でも見る人が変わればその意味合いが変わりますよ、というような。

 

では、なぜそういうことが起こるのか?

では、好き勝手に人は物事を解釈できるのか?
そもそも意味とは何か?

そういうことを説明できていない。

 

そうすると、クライアントは自分の具体事例は理解できるけれど、別の問題が立ち上がったときに対応できないんです。

根本原理を知らなければ、いくら自分で考えたところで考えのバリエーションは増えるでしょうけれど、その考えの質は変えることが出来ないのです。

 

 

建築家は建物を作ることが目的ではありません。

建物を通して、建築家が考え尽く、解釈した世界観(建築家が何をしたいかではなく、世の中の人達、その土地の歴史、環境、想いなど)を表しているのです。

 

コーチがクライアントに語る「言葉」は、コーチが解釈した世界観です。
つまり、どのように解釈するかで、コーチングの質は大きく変わることになります。

 

だからこそ、コーチは言葉の構造を高い視点で知ることは必要です。そうでなければ、同じ言葉を使用しても、その内容の質は落ちてしまうと私は考えます。

 



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