コーチングの質問集は無駄。質の高い質問とは?

コーチングの質問集依存

コーチングの手法では「質問」という物が重要視されています。しかし、私が見る所その内容が安易です。質問というのは答えよりも重要です。何故なら、質問の質が答えの限界を作ってしまうからです。

コーチング質問集を分析

コーチングをするうえでどのようにクライアントに質問をすればいいか?ということで、代表的な質問をバリエーションに分けてまとめた質問集があります。

内容を見てみますと下記のようなバリエーションがあります。

明確化

オープンクエスチョンの5W1Hやクライアントに具体例や内面を深堀りした考え方を即し明確化させる質問

5W1Hとは・・・When(いつ)、Where(どこで)、Who(誰が)、What(何を)、
How(どうする)、Why(なぜ?)という、Yes,Noで答えられない幅広い答えが出来る質問

可能性の提示

「もし、○○なら」「あえて、○○すると」などと、仮定の話の中で質問をすることでクライアントが気づいていない可能性を提示する質問

客観化

クライアントが持つ固定観念に気づかせる質問。例えば「みんなに嫌われていると言いますが、みんなとは誰ですか?実際にどういうことをされて嫌われてと思いますか?」
自分の思い込みを客観的事実と取り違えていると思われるときに行う質問

コミュニケーションのための質問

質問といっても、内容はクライアントに許可を得たり、同意したり、確認したり、心情的に寄り添うために行う質問。コミュニケーションを取ることで信頼を得る。
質問の内容自体は意味がない。

質問集はバリエーションが増えるだけ

コーチングでは上記にあげた内容で数々の質問の例文が提示されています。バリエーションは非常に多いです。

しかし、その質はどうでしょうか?

質問の量やバリエーションが増えれば、質が上がるということはありません。

たった一つの質問でも、相手の価値観をがらりと変えてしまうことがあります。

そういう質問は上記に書いた質問集などのありふれた質問ではないです。
それはナゼでしょう?

内面の深堀りは全く意味がない

多くの質問がクライアントが考えていることを知ろうとする質問です。知るのはコーチであり、クライアント自身。

つまり、クライアントの内面に焦点を当てた質問ですね。

実はいくらクライアントの話を深堀し、相手が話をすることで満足したところで、本来のコーチングの目的である「目標設定」には行きつけません。

クライアントが心の内でああだ、こうだと考えていることは、ある意味すべて独り言なのです。

「私はこう思う。」「私はこう感じる」ということを聞くことは少しは必要ですが、

それを深堀りしたところで、出てくるものは個人の思い込みと空想と本能的な快・不快を表明している愚痴でしかないからです

感情の吐露や愚痴を聞けば、クライアントが心が軽くなったり、気分が晴れたりするかもしれませんが、その状態は長くは続きません。

なぜなら、根本的な解決はしていないからです。

そういうことで、貴重な時間を浪費するのは良くないと私は考えています。

こういった気分の問題に目をとらわれていると、コーチング本来の仕事「人の成長を助ける」ということができなくなります。

クライアントは気が晴れて満足かもしれませんが、それで満足していては本来の目標にたどりつけません。従来のコーチングでクライアントが自分の内面に向き合うことを重要視していますが、実際はクライアントが自分で自由勝手に想像し妄想できる「内的言語」に注目したところで解決策からは遠ざかってしまうだけです。

「客観的」とは他人の目で見ることではない

また、そういったことからクライアントの思考を外すために客観的に現状把握をさせる質問もありますが、従来のコーチングではその客観的な見方の質が低いのです。

私が提唱しているメタ・アーチングでは思考の質を重要視しています。

思考の質とは、より高い視点で、本質の抽象度をあげた思考であるか?ということです。

コーチングで考えられている客観的というのはどういうことか?を考えてみましょう。

多くは「他人からみたらどうなのか?」という視点で語られています。しかし、ここで重要なのは「他人」とはどういう人のことを想定しているのかが問題です。

これはコーチの世界観によって変わってきてしまいます。

コーチが人間は基本的にいい人たちだと思っていると他人とはそのような人たちということになります。

基本的にコーチングやセラピーをする人たちは「人間は根本的にはいい人なのだ。」という教育をうけています。

しかし、弱肉強食のビジネスの世界では、無防備に人を信じすぎる人のことは「お人よし」と言われ、基本的には「相手は悪い人かもしれない」という疑いは少しは持つものです。

このように「他人」とはどういう人たちか?が全然違うのですから、「他人の目で物を見る」とは本当に客観的な視点ではなく、コーチの世界観に毒されたものではないか、と私は考えています。

どうして、このようなことになるかをコーチの人達は自覚していません。

理由はこの「客観的に見る」という考え方がどういう思考から生まれてきたものか理解していないし、それを考える思考力の術を知らないからです。

「客観的」なんてものはない

実は客観的なものの見方という物は、この世には存在しません。

「これが客観的だ!」という判断自体がその人がそう考えた、そう信じた結果だからです。

いや、実験結果や調査やそこに出てきた数字のデータは客観的だ!という人もいるでしょう。

しかし、それも実験でいつも同じ結果になるならそれは客観的事実として、とりあえず進んでいきましょうという、科学の分野での約束事があるからそうなっているだけです。

それも、100%正しいなどと科学者は言ってはいません。科学の発展は今まで正しいと思われていたことをくつがえし、新しい理論を証明することにあるのですから、今科学的に正しいと思われていることが、後の世に「違いましたね」ということは多々あるのです。

また、数学も人間が考え出したものですから、従来の数学が本当に世界の全てを解き明かす方法論として有効なのかということが、最先端の宇宙物理学で取り上げられたりしているのですから、数学は万能である根拠にはなりません。

しかし、そういった個人的な主義主張よりは普遍的である方法だと思われているので、「科学は(割と)客観的な事実である」となっているわけです。

それが一般化すると、

科学=真実

という拡大解釈で考える人が多いというだけです。

客観性よりも構造

客観的なものはこの世にないとすれば、世の中すべては自分が考えたようになる主観で成り立っているのでしょうか?

実はそれも違います。

例えば、「自分は世界一素晴らしいプロの歌手だ!」と主観で思い込んでいたとしても、世間の人があなたのことを歌手だ、歌が上手い、人気があるなどと思っていなければ、プロの歌手として活動するのは難しいです。

自分が望んだものは必ず実現する!

などと自己啓発業界でいわれることも多いですが、実際はそうではない。

「じゃ、世の中は客観と主観、どちらで出来てるんだ?!」

と言われそうですが、その「AかBか」という二者択一の思考自体が固定概念なわけです。

そういった、固定概念に縛られているコーチがするコーチングはやはり、その固定概念の枠に収まってしまいます。

私は世の中は主観でもあり、客観でもあると考えています。

カメレオンがある時は緑色で、ある時はオレンジ色になるのに、

「このカメレオンは本当は緑色なのか?オレンジ色なのか?」と議論しても意味がないのです。緑色のカメレオンも、オレンジ色のカメレオンも、同じカメレオンです。

このような客観と主観の捉え方は、アートや現代哲学のなかでは初歩的な事柄です。まだまだ、上の抽象度の高い考え方がありますが、文章が長くなりすぎるので、ここで止めておきます。

結局なにが言いたかったかというと、

誰にでも出来る質問なら、コーチなどいらない。

ということです。

気づきを求めることの弊害

主観的な考えを客観的な考え方に変えるぐらいでは、たいした思考の質の変化は起こりません。
しかし、このようなレベルの思考の変換でも「気づき」を得ることは出来ます。

よく「気づきをえることが出来ました!」「気づきを得ることが出来ます!」と嬉しそうに言いますが、実は気づきなんてものは、しょっちゅう起こるものです。

世の中には自分の知らないことの方が圧倒的に多いのですから、世の中は気づきに満ちあふれていて当然なのです。

日常的に気づきがないのだとすれば、それはあなたの世の中を見る視野が狭くなっている可能性があります。

「そんな、日常的な気づきではなくて私のは人生を変えるような気づきだ!」と言う人もいます。しかし、それこそ主観でしかないので、同じような事柄を知っていても、そんなレベルにすでに到達している人のとってみれば、たいした気づきではないことが多いのです。

例えば、

「今まで親の言うことを聞くのが当たり前だと思っていたけれど、そんなことをしなくてもいいし、生きていける!」

という気づきを得て人生が変わる人もいて、それは本人にとっては大きな気づきで重要なことなのでしょうが、

そんなことは当の昔に気づいて、何年も自立して生きている人から見れば「そんなの当たり前だ。」となり、気づきとは言えない当然のものです。

気づきという物は、人にとっては快楽です。

新しい考え方になって、生まれ変わったような気分になれるでしょう。
しかし、それが目的となっては本末転倒です。

コーチングで気づきを得ること、気づきを与えることを重視しすぎると、安易な低い思考力のレベルでの気づきの回数を増やそうとしてしまいます。

しかし、それでは本当の意味での、成長にはつながりません。

すぐに気づくことよりも、今はじっくり考えて思考を深めることも重要なのです。

クリエイティブな質問を作り出せる思考が必要

では、どのような質問が良いのでしょう?

私は抽象度を高めた思考が必要とされる質問が大切だと考えます。

客観・主観といったものは抽象度としてはどちらも同じレベルにあります。

これでは、どちらの質問をしたとしても、そこで導き出される答えは、質問のレベルにとどまってしまいます。

そうではなくて、主観・客観という枠組みを作り出しているのは何なのか?それはクライアントや世の中にどのような影響を及ぼしているのか?

といった、一段上の抽象度で考えることができる質問が重要だと考えます。

問題はコーチが「主観・客観という枠組みを作り出しているのは何だと思いますか?」と覚えたことを丸暗記して言ったとしても、そういう抽象度の違う考え方の存在自体を理解していないと、クライアントが出した答えに対応できないでしょう。

その前に、こういった質問を自分で創り出すことが出来るようになるには、上の抽象度の考え方を理解していないと不可能です。

そう考えると、コーチングのように、人を導く仕事をする人たちには、抽象度の高い思考方を訓練が必須だと私は考えています。そのため、メタ・アーチングでは個人セッションだけ提供するということはありません。

個人セッションでコーチングするより以前に、コーチやクライアントにそういった高い抽象思考の方法を教え、実践できるようになることが重要であると痛感しているからです。

お互いがレベルの低い思考法のままで、いくら個人セッションのコーチングをしても、より高い答えは得ることは出来ないからです。

そのためにも、まずはコーチ自身がその思考レベルに行くことが絶対に必要なのです。

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