流行を追うか?追わないか?ではない、もう一つの答え

流行を追う人が世の中には多いですが、一方で、流行に背を向けて自分の道を突き詰めようとする人がいます。

一体どちらが良いのでしょうか?

この問題の思考の基本的な重要なポイント別のところにあります。フアッションとアートを用いて流行について考えながら流行の先にある思考について書いていきます。

流行には2種類ある

流行といっても、これには2種類あると私は考えています。

一つはビジネス的な思惑から始まったものではないのだけれど、一部の小さなコミュニティーで価値が共感されたものが、マスコミなどで世間に広まり流行となるものです。

たとえば、ヒップホップダンスでよく見るファッションです。Tシャツ、ジーンズ、スニーカー、革素材などを使ったカジュアルなフアッションです。ユニセックスな雰囲気をもち、男性だけでなく女性フアッションにも今では定着しています。

あれは、もともとアメリカの黒人の若者のファッションです。彼らはそのような黒人文化から生まれたフアッションやアートをブラック・カルチャーと言っています。

そこにはやはり人種差別の問題が根底に流れています。ですから、白人社会のきちんとした身なりを真似するのではなく、独自の美意識をそこに主張しています。

ズボンをずりおろして履いたり、過剰な装飾や派手な色合いなど、ヨーロッパ文化に見られる伝統的なきちんとした身なりとはあえて、違う主張をしています。

アメリカの文化にあこがれを抱いていた日本にもフアッションとして入ってきて、今ではごくありふれたフアッションになっています。

これなどは、ビジネス的な思惑ではなく、文化や歴史のさきに生まれた、若い黒人の人達のコミュニティーで共有されていたフアッションが、音楽や映画など文化を通じて、世界中に広まったものです。

もう一つの流行はビジネス的な目的で最初から作られた流行です

女性誌などで今年のファッションのはやりの色はこれだ!などと特集が組まれますが、何色が流行るかは2年ほど前に服飾業界が決めるのです。

それにあわせて糸を作り、それを織って布をつくり、その布を利用してデザイナーがデザインをし、服が販売されます。

世界で行われているフアッションショーを見ればわかりますが、その年の秋に行われるフアッションショーで発表されるのは、来年の春夏フアッションです。

その発表するための服を作るのに、デザイナーは半年以上前から準備しますから、布地の会社はデザイナーに採用してもらう布を作るのにまた、その数カ月まえから用意しているのです。

どうして、こういうことをするかというと、業界全体で流行を創り出すことで、無駄をなくすためです。

もし、服飾業界が流行を追いかけるだけならどうなるでしょう?

あるフアッションが流行ってるという情報を聞きつけて、布を増産し、デザインしているうちに流行が終わってしまうかもしれません。これでは、ビジネス的にリスクが多く、先が読めない。そういったリスクを避けるため業界全体で流行を創り出しているのです。

それに毎年、毎年新しいテイストのものを流行だ!ということにすれば、流行に乗りたい人や流行遅れな物を恥ずかしく思う人が毎年新しく服を買ってくれるわけです。

日本で今着るものがなくて困っている人はほとんどいません。服を買うのは防寒や皮膚の保護ためでではなく、ほとんどが流行という作られた時代の流れに同調しようとする行動なのです。

流行の利点と欠点

このように、流行には自然発生的なものと、ビジネス的なものがあります。

ビジネス面で言えば、流行があるおかげで、人は過剰な物を買ってくれます。

今の世の中、物はありあまっていて、生きていくのに最低限必要なものは、消費者となれるぐらいの所得のある人はもうすでに持っているわけです。

しかし、それで困るのは企業です。企業は利益の増大を第一の目的としています(建前では違うことを言っていたとしても)ので、消費者が自分の商品を買ってくれないと困るのです。

それで、自然発生的な流行やビジネス的な流行を利用して、消費者に物を買うべき理由を提供しているのです。

おかげで、企業は利益をあげ、従業員は給料をもらえ、その給料をまた消費にまわしているわけです。

このようなお金の循環があるから、世界はなりたっているのですから、消費を刺激するものとして流行は重要です。

一方で、欠点とはなんでしょう?

それは永遠に続く流行はないということです。

とくに、現代のように大量の情報が瞬時に伝わる時代では、流行の寿命は短くなるばかりです。
人々は興味がおもむくままに行動し、それに応じるようにそれをあおる情報がながされ、拡散し、すぐに古びてしまいます。

商品を作るのに多大な資金と時間を費やしてきた企業にとってみれば、たまったものではありませんが、消費者は損ことには無頓着です。ただ、自分の興味にしたがって消費行動をするだけです。

こうなると、先行きが予想できない、「これから10年わが社は安泰です!」なんて、誰も言えなくなっています。

このことは過去の記事(ビジネスで勝つためにアートや哲学を学べ!)にも書きましたが、「大きな物語から小さな物語」へと移行してきているせいです。

世の中が流動的で、予測ができない状況があたりまえになるということです。

アートにも流行がある

アートは時代を映す鏡です。
ですから、アートにも流行はあります。

誰かがビジネス的に作る場合もありますし、その時代に流れる世の中の思考に合わせたり、それを否定してリしながら作品を作るために、それがアート界でも一つの流行となる場合があります。

ただ、フアッションのように全体が流行に乗っかるというのではなく、流行にのるのではなく、流行をよく観察して、それを活用しているという方がいいでしょう。

今(2017年)に注目されているのは、科学や生物学と融合したアートですね。

遺伝子操作、AI、バイオテクノジーなど最先端科学技術の概念や可能性をアートで表現しようとしています。

科学とアートは実は昔から関わりが深いのです。
だれもしたことのない新しい表現を模索しているアーティストにとって、科学技術の発達が新しい表現のアイデアのもとになるのはあたりまえといえます。

アートが抱える矛盾

しかし、流行ばかり追っていてはアートとして評価されることはありません。

そこに、いままでのアートの歴史が作り出してきた文脈が無くてはいけないのです。

つまり、全く新しい表現を追求しつつ、過去の文脈を保つという、二律背反を同時にしなくてはいけないのです。

一般的には、二律背反のことを同時に行うと、「八方美人だ!」「一貫性がない!」「二重人格だ!」などと非難されることが多いです。

しかし、そういうことを言う人たちの方が、世の中をきちんと冷静に見ていないのです。

何かを追求することは、一つのことを信じ切って、ほかに関心をもたず、捨て去ることだと思い込んでいるのです。

流行を追うか?全く無視するか?
新しいものを作るか?古いものを残すか?

このように、2つのうち一つを選ぶことによって、より高い次元にいけると信じているようです。

しかし、実際は二律背反とは、全く違う物が反発しあって存在するのではなく、実はお互いに依存しあって存在するのです。

分かりやすい例でいいますと、光と影ですね。
影があるから光の存在が理解でき、より輝くわけです。反対に光があるから、影の暗さがより際立つのです。

一見、反発しあってみえるものが、その本質においては依存しあっている状況があるのです。

こうもいえます、一方を追求することは、その他方を追求することにつながると。

とことん新しい表現を求めるアーティストほど、歴史やそのルーツを徹底的に調べ上げ、理解しているのです。

本当に流行を突き詰めたいなら、流行とは無縁の普遍的な伝統的なものに目をむけるようにすべきなのです。そのことによって反対のほうが、より際立ってよくわかるようになるのです。

それは、適当に二つの対立するののをあいまいに両方受け入れて、折り合いをつける、ということではありません。

逆に、いつも自分のなかでその二つを戦わせ、安定的な着地点に安住せず、より高みをめざすということです。

そう、自分のなかにいつも矛盾をかかえつづけろ!とうことです。

正直、どちらか一方を選んで疑問をもたず、安定することよりも、いつも矛盾をかかえ、高みに登ろうと苦闘する方が圧倒的に大変です。

しかし、本当の意味で追求するためには、それと反対のことにもあえて目をむけることが必要になるのです。

この矛盾のあるあり方を、自分が楽をするための口実ではなく、自分を鍛えるための方策に変えることが大切だと私は考えています。

いつも二重人格でいるべき理由

偉大なアーティストはそういう二律背反のありかたを、特別な自己実現の手段として捉えることなどはもう乗り越えて、そういうあり方が日常というレベルに到達しているように見受けます。

二律背反の事柄を同時に持つことの方が普通になっている。

きっとそれは、アートが他のどの分野の物より唯一無二の自分の表現を探すものであると同時に、アート業界全体は抽象的な「アートの価値」を売買する高度な資本主義の在り方を体現している。

つまり、徹底した個人的内面の探究と資本主義という外部状況という矛盾の中にアーティストがいつも置かれる状況があるのです。

アート自体が矛盾を含んだものであるから、名を残すアーティストはそういうあり方にならざるを得ないのだと私は考えます。

自分の内面を探求するために外部の世界をより深く知ることが必要で、外部の世界を探求していると、自分自身のことが理解出来き、オリジナリティーが際立つことになるのです。

コーチング、カウンセリング、ビジネス、アート、ダンス、哲学など、それぞれの中に時代とともに変化するものと、普遍なものがあります。

また、コーチングやアートやビジネスなどはそれぞれ別物として区別されていますが、そこには共通する点もあるのです。

その「差」と「同」という、二律背反も、同時に自分の中に矛盾として持ち続けることで、より自分の視点をあげ、メタ・アーチングの質の向上や人生やビジネスの理解に活かせると私は信じています。